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米兵による性被害を受けたことを公表して被害者支援などを行っている女性が、「癒し」を届けようと展示会を開催しています。そうしたなか 米兵による犯罪被害者の遺族の男性がその女性を訪ねました。

キャサリン・フィッシャーさん「(日米地位協定で)ちゃんと日本の法律を順守してと言ったら日本の法律は素晴らしいから(米軍は)犯罪は起こさないよ、だからあなたのお父さんは生きていたんだよ、だから日本政府は責任をとらないといけない」

今月2日から那覇市で展示会を開いているのは、東京在住のキャサリン・フィッシャーさん。日米地位協定の改定などを訴えた、22年間の軌跡を作品で表現しています。

きっかけとなったのは2002年に神奈川県横須賀市で米兵から受けた性的暴行。さらに捜査機関から心ない取り扱いをされたことでPTSDを発症しました。

フィッシャーさんはその後損害賠償の裁判の途中でアメリカに逃げた元兵士を自力で見つけだしてさらなる訴訟を起こし、事件から11年後に軍ぐるみで逃走をさせたという証言などを公にし、勝訴しました。

キャサリン・フィッシャーさん「(被害者には)ケアが必要、被害者だけでなく被害者の家族にも必要。ヒーリングと犯罪防止を訴えていきたい」

キャサリン・フィッシャーさん 米兵犯罪の被害者遺族と対話

作品にはフィッシャーさんが親の支えなどを受けて立ちあがって自分を取り戻した過程を表現したり、犯罪被害に苦しむ人に寄り添うメッセージが込められています。

この日開かれた講演会に、フィッシャーさんを見つめる男性がいました。宇良宗之さんです。

父親が米兵に襲われた 宇良宗之さん「(フィッシャーさんの)強さと前向きにやっていこうという姿勢は、ぼくのなかではすごく支えになっている」

タクシー運転手だった宇良さんの父親は、16年前 客として乗せた公務外の米兵に何度も酒瓶で殴られ大けがをしました。その後PTSDに苦しみ 仕事復帰が叶わぬまま、事件から4年後、がんを患い亡くなりました。

宇良さんは父親の救済が果たされるよう、SACO合意に基づき補償を払うべきだと国に求めています。その内容は 確定した補償金と日本の法律が定めている補償がされるまでにかかった期間の遅延損害金をあわせて求めるものです。

しかし、福岡高裁那覇支部は去年9月の判決で一審判決を支持し、”遅延金は補償の対象外”とする国の主張を認め、訴えを退けました。判決は被害者に寄り添ったものではないと宇良さんは上告していて、いまも決着はついていません。

事件から16年たっても決着せず、裁判が続く現状は宇良さんの心を苛み続けています。

キャサリン・フィッシャーさん 米兵犯罪の被害者遺族と対話

宇良宗之さん「(裁判を)突き進むのかどうかというところもぼくのなかでは葛藤している部分がある。国に対して意見も伝わらないし、司法の壁もすごく大きい。くやしさで心が濁り始めている」

講演会から2日後、事件についてより深く知りたいとフィッシャーさんは宇良さんの父親が襲われた現場を訪れていました。

これからどうするべきかを模索する宇良さんに言葉をかけます。

宇良宗之さん「被害者はほとんど何をしていいかわからない(当時)父親が防衛局に問い合わせしても全くの応答なし」

キャサリン・フィッシャーさん「それも変えないといけない、被害者が事件後にどうすればいいかを知るために。あとは日本政府が(変わるのを)待たないで行動を起こしましょう。犯罪がもう起こらないように(裁判に)勝たないといけない。一緒にいますよ、ひとりじゃないから」

フィッシャーさんの言葉に宇良さんの心が動き始めます。

宇良宗之さん「もっともっと前進しようという力をもらった。ほとんどの人が(補償問題が)長期化している、もしくは(適正な金額が)支払われていないということが実態なので、過去の被害者、未来の被害者にどのようにするのかをこれから問い詰めていきたいと思った」

日米地位協定が適応される軍関係者の犯罪による被害補償。いまだ不十分だという被害者、その関係者の声に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。