※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

太平洋戦争の真っただ中アメリカ軍の攻撃を受け沈没した戦時遭難船舶「湖南丸」で兄を亡くした遺族が、24日初めて海鳴りの像を訪れました。

山里秀雄さんの妹山里節子さんは慰霊碑の前で『ごめんね長い間これなくて』と話しました。

太平洋戦争の最中「湖南丸」はアメリカ軍の魚雷攻撃で沈没し、乗船していた船員や一般乗客など577人が亡くなりました。その中には、海軍の機密事項で乗船名簿に名前が乗っていなかった200人の少年航空兵のうちの、197人も含まれています。

当時、登野城国民学校高等科1年の山里秀雄さんもそのひとりで妹の山里節子さんがきのう初めて那覇市にある「海鳴りの像」に参拝に訪れました。

山里節子さんは『80年を経てようやく兄に会えたような気がしてます』と話します。

少年航空兵は、徴兵ではなく自ら志願し採用された二十歳未満の海軍飛行予科練習生で山里秀雄さんは八重山での1次試験に合格し2次試験のため親友とふたりで湖南丸に乗船し鹿児島県へ向かう途中でした。

山里節子さんは「いかに戦争というものが特に弱い立場のある人たちにとって理不尽な不条理ってことも痛感しました」と話していました。

節子さんは、兄に即興でふるさとの唄「とぅばらーま」を捧げ手を合わせていました。

また、「生きている間、反戦平和の闘いを続け兄たちの死に報いるつもりでいます」と話し二度と戦争による犠牲を出さないためにもこの体験を次の世代に繋いでいくと決意を伝えていました。