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復帰50の物語。今回はきょうと来週の2週にわたり「大阪にある沖縄」についてお伝えします。

戦後、職を求めて多くのウチナーンチュが大阪へと移住し今なお県系人が多く住む大阪市大正区。リトル沖縄とも呼ばれるこの場所でも復帰50年を迎えた今、節目を迎えていました。

電車の発車を告げるメロディには沖縄の民謡。街を見渡せば、いたるところに馴染みのある言葉。ここは人口6万人のうち4分の1ほどが沖縄にルーツがあると言われる、大阪市大正区。通称〝リトル沖縄“と呼ばれています。

この場所では全国で1,000店舗以上を展開しているコンビニエンスストアでさえ店内では沖縄の音楽が流れています。商品棚には島豆腐やちんすこう、泡盛からブルーシールのアイスまで沖縄県産品がずらりと並んでいます。

復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”

デイリーヤマザキ大正店 宇都宮 初恵 店長「私の両親も沖縄から来て私が大正区で生まれた感じですので、私も沖縄人よという感じで生きてきたかな」

沖縄2世の宇都宮初恵さん。地域の要望を受け、本部(ほんぶ)を説得する形で沖縄の商品をそろえていきました。現在も仕入れを積極的におこないコロナ禍で打撃を受けた沖縄への応援を続けています

デイリーヤマザキ大正店 宇都宮 初恵 店長「10種類から、いつの間にか200~300種類に増えちゃったというだんだんともうちょっと3分の1くらい沖縄食になっていってもいいかなって(本部は)どういうかわかりませんけどそれくらいは地域の人とはなじんでいきたいなと」

沖縄との強いつながりを持ち続けてきた大正区。ただ、沖縄が本土に復帰して50年を迎えた今、この場所も節目と言える時期に差し掛かっています。

大正沖縄協会 上地由光 理事長「僕も沖縄から出てきて半世紀になるから、もともと1世が多くいたんだけど今は1世がだいぶ少ない。1%くらいかな」

大阪沖縄県人会連合会 山端立昇会長「復帰する前と復帰後は違う感じがするね。あの時分の心意気がないような気がするね、僕も含めてだけど」

復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”

大阪市大正区。そのほぼ中心に立つ建物が大阪の各地域にある沖縄県人会組織の拠点となっている大阪沖縄会館です。

大阪沖縄県人会連合会 山端立昇会長「沖縄のシンボルだろうね。首里城みたいなものと思っているけど自分たちの心の古里と思っているんじゃないのかな大正区に住んでいる人は。訪ねてくる人もみんなそうだと思うよ」

大阪大正区と沖縄のつながりは今から100年以上前の大正時代中期にさかのぼります。戦後恐慌などで不況に陥っていた沖縄から多くの人々が職を求めて軽工業が盛んとなっていた大阪へと渡るとその後、出稼ぎから永住に切り替える人が増えていきました。

復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”

そんな大阪の沖縄出身者たちは終戦後には、沖縄がアメリカ統治下に置かれ日本から切り離されたたことで古里を失うことになります。身を寄せ合う形で各地で県人会組織が作られ、現在でも大阪市には9つの県人会があります。

大正沖縄協会 上地由光 理事長「(大正県人会は)戦前からありますね。昭和初期あたりからその中で親戚を訪ねてきたり、それが広がっていってだんだん増えていった感じ。全盛期で2万3000人くらいかね」

中でも県系人が多く住む大正区にあるのが「移住者の台所」としてにぎわった平尾本通商店街です。

沢志商店 知名初美さん「お父さんお母さんがこの店を始めてから弟までつなげてきているので50年くらいになるかな」

この場所で多くの沖縄県産品を取り扱う「沢志商店」。もとは「澤岻」でしたが、「岻」の字が大阪で馴染みがなく読めないことから、この地で生活をするために読みやすく変えたということです。戦後大阪で過ごしたウチナーンチュたちの中には様々な理由で名前を変えた人も多かったといいます。

沢志商店 知名初美さん「戦後は沖縄出身の人たちはみんな名前を隠して「琉球人は立ち入り禁止と」と言われたよ、そういうのがあったのが私たちの年代のもう少し上の人それを聞いているからね」

戦後、自分たちの生活や権利を守るためにその人数を増やしていった県人会。古里・沖縄に呼応する形で、復帰運動も盛んに行われるようになりました。

復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”

大阪沖縄県人会連合会 山端立昇会長「あれだけ復帰運動に御堂筋をパレードしたり中国に帰れと言われたこともあるらしいけどね。先輩たちが築いた沖縄県人会というのはやっぱりその心意気はすごいと思う」

そして、復帰50年を迎えた今年5月15日には大正区でも記念イベントが開かれました。大阪のウチナーンチュにとっても復帰は特別なものだったのです。

大正沖縄協会 上地由光 理事長「長年大正区に住んで沖縄を忘れたらいかんという感じで昔なら差別がありましたから、今はそれはなくなった。堂々とやっていける時代になっているので」

復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”

沖縄と大阪、距離は離れていても、同じウチナーンチュとして歩んできた歴史。ただ、その一方で時が経つにつれてそのつながりにも変化が出てきています。

大正沖縄協会 上地由光 理事長「何かをしよう、催し物をしようと思っても客が減ってきたりとか参加者が減っている状況がありますね」

大阪沖縄県人会連合会 山端立昇会長「今さら県人会なんていらないという人もいるからね。やむを得ないかなと思うよね時代の流れやし」

薄れゆく大阪の中にある沖縄。そのつながりを再び強いものにしようと活動するある女性がいました。

新城悠子さん「復帰50年と言われても生まれていないのでピンと来ないんですけど、昔からの積み重ねで今があると思うので全く無関係ではないと思っていますし」

大阪のウチナーンチュの物語は新たな章へと入っていくことになります。