首里城の写真を長年撮り続けている男性がいます。彼が撮影した作品はどれも鮮やかな色彩が印象的なものばかり、一つ一つの写真が琉球王国の華やかさを感じさせてくれます。沖縄のシンボルともいえる存在を失った未曽有の火災から1年、首里城に魅せられ、その姿を追い続けてきた男性は今、何を思いながらカメラを手にしているのでしょうか?

今年6月。首里城の正殿があった火災現場がはじめて一般公開された日に、ひとりの男性と出会いました。

仲本宗則さん「ギューッと締め付けられる思いがしました」

タクシーの運転手をしながら、長年首里城を撮影しているといいます。本人も把握しきれないほどの大量のフィルム。光にかざすと、王朝文化が鮮やかに浮んできました。男性は、どんな思いで首里城を撮り続けてきたのでしょうか。

仲本宗則さん「もう、嘘であってほしい。首里城が火事になってないでほしいっていう。見るまでは本当に実感してなかったんで」

首里石嶺町に暮らす仲本宗則さん。1年前のあの日、出火から2時間後の午前4時半頃、ニュースで火災を知り、2キロほど離れた場所から、状況を見守りました。

仲本宗則さん「この火災あった日から1年間そんなにカメラ握っていないんですよ。撮りたいっていう気持ちが湧いてこなかったんですよ」

心のよりどころを失ったと語る仲本さん。実は首里城とは、50年近いつながりがありました。出会いは、本土復帰の1年後。1962年、那覇に生まれた仲本さん。小学1年生のときに、家族で兵庫県へ渡ります。それから10年、沖縄の本土復帰が決まると、両親は再び沖縄へ。すでに横浜の自動車工場に就職していた仲本さんも呼び戻されることになったのです。

沖縄に戻ってきた仲本さんが趣味を生かして選んだ仕事が、守礼門前での観光カメラマンでした。当時、首里城はまだ復元されておらず、琉球大学の校舎がたっていました。沖縄のシンボルとして再建された守礼門には、多くの観光客が訪れたといいます。

首里城火災1年 -5- 心で撮り続けた首里城

仲本宗則さん「当時は1日中、朝の8時くらいから夕方5時くらいまで、1日中、ここに詰めていたんですよ。もう団体のお客さんがひっきりなしにくるので、自分たちの写す団体のお客様が来たら、走っていって、添乗員さんと交渉して、並べて撮影する」

本土から戻ってきたばかりの仲本さんは、守礼門も、琉球という国があったことさえも知りませんでした。仲本さんが、撮影にのめり込むようになったのは、復元された首里城をみてからです。

仲本宗則さん「首里城が復元されてから意識が変わったんですよ。400年500年前に、琉球王国というのがあって、首里城を中心に琉球が栄えたというのを聞いて、それから少しずつ意識変わっていって、見るたんびにやっぱり、首里城すごいなぁ昔の人はすごい建物つくったんだなと」

首里城が復元された当時、仲本さんは、PR用の写真を手掛けていました。もっともこだわったのが、首里城の色彩の再現です。

首里城火災1年 -5- 心で撮り続けた首里城

仲本宗則さん「普通のフィルムだと色劣化してたとえば10年20年になると、フィルム自体が色、薄くなっていって、劣化していって、その当時の色が再現できないんですよ。こっちのポジフォルムはそのままずっと残りますから特に首里城の赤色、この赤色は首里城独特の色なので、これはなかなか外の城にはない色なので」

先週、仲本さんと、首里城を訪ねました。正殿があったエリアへ足を踏み入れます。火災後、ここに来たのは、2度目です。

仲本宗則さん「首里城正殿がないのは、一番悲しいですね。沖縄の琉球の、誇りの建物だったし、みんなが首里城みてすごいっていう感じだったもんで、なくなったらもう、悲しいとしか言えないです。本当は気持ちは泣いているんです。ここ入ると、やっぱり、気持ちが落ち着かないです。」

首里城火災1年 -5- 心で撮り続けた首里城

これまで、仲本さんは、琉球・沖縄の誇りとしての鮮やかで荘厳な姿を写真におさめてきました。それは、自分のルーツに対する誇りでもあったのです。沖縄が本土に復帰する前に、こども時代を関西で過ごし、本土での就職も経験した仲本さん。ヤマトンチュにもウチナーンチュにもなりきれない心を解消したのは、長い年月と、首里城の存在でした。

仲本宗則さん「むこういにいたら、また差別的なことあったと思うんで」「沖縄に長い間住み続けてやっと、最近、沖縄、ウチナーンチュっていうのをどんどん意識し始めてきている。」「沖縄に来たら、みんな沖縄の人ばっかりだから、そういう差別的なのないですね。たぶん向こうに行ったらあったはず」

心のよりどろだった首里城の変わり果てた姿に戸惑いながらも、少しずつシャッターを切っていきました。

仲本宗則さん「今回、こういう形で首里城に行って、逆に励まされたような気がするんですよ、焼け跡をみると。逆にその写真を、今から出来上がるまで、6年ぐらいなると思うんですけど、その写真を撮るのが逆に自分の生きがいになってきているんで、撮っていこうと思いますよ」

首里城に出会ったことで、沖縄や琉球を意識するようになった仲本さん。沖縄のシンボルがもとの姿を取り戻す歩みとともに、自分のルーツへの思いを積み重ねていきます。

仲本さんは、以前の首里城が再建された時の写真を新たな再建の資料として役立てたいと話していました。