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11年前にアメリカ兵が起こしたタクシー強盗。日本の裁判所が命じた賠償額をアメリカ側が支払わなかったため補償問題はこじれていました。こうした中、先ほど、日本政府が賠償金を肩代わりすることを被害者側に伝えました。

沖縄市の弁護士事務所にやってきた防衛局職員。目的は、11年前、2人のアメリカ兵が起こしたタクシー強盗。これまで、遺族への補償問題が放置されていました。

被害者の長男・宇良宗之さん(事件現場での撮影)「父親はもう帰ってこないんですよ。(補償が)終わったとしてもですね。だから、父親が当時…生きている時に終わってほしかった問題を11年目に入るということで、気分が悪いですよね。すっきりしないというか…」

癒えることのない苦しみを口にするのは宇良宗之(うら・むねゆき)さん。被害に遭った運転手・宇良宗一(むねかず)さんの長男です。事件が起きたのは2008年1月7日、午前3時ごろ。 宗一さんが運転するタクシーに2人のアメリカ兵が乗ってきました。「フレンド…フレンド…」

「近くに友達がいる」と指示され住宅街をグルグルと走り続け…30分ほどたった、その時…「地図…見せてください」地図を取り出そうと手を伸ばした瞬間、隠し持っていた酒瓶で宗一さんを殴ったのです。

宇良宗之さん「思い切り鳴らしたそうなんですよ、クラクションを」「全く人気のない場所だったり、民家のない場所だったりしたら「確実に死んでいただろう」と…(父が話していた)」

逃げようとした宗一さんを追いかけ、さらに暴行を続けました。宗一さんは乗車賃を踏み倒され、頭や腕に全治1カ月の大けが。2人はその日のうちに逮捕されました。

米兵タクシー強盗から11年 賠償金日本が肩代わり

宇良宗之さん「事件に巻き込まれて「自分の人生が狂った」というのを家の中でわめいていたんですね…」事件後「心的外傷後ストレス障害」いわゆる「PTSD」と診断された宗一さん…「夢で事件の場面を見ます。外国人を見ると怖くなります」恐怖を拭えぬまま、事件から4年後に他界しました。

宇良宗之さん「父親が精神的にまいってしまって…それに押される形で母親も精神的に追い詰められて、経済的な問題だとか、そういう問題で…」

事件は息子の宗之さんからも当たり前の生活を奪いました。

歌「夢だけは~ 今もこの胸に~」宗之さんには「歌手になる」という夢がありました。宇良宗之さん「反対されるかなって思っていたんですけど、「自分の好きな道を進んでいったらいい」と(父が言ってくれた)」しかし、事件が父や家族の生活をズタズタにしたのです。

宇良宗之さん「負けるわけにはいかないというような、やっぱり、負けねえよっていうような」宗之さんたちは日常を取り戻すため、アメリカ側に補償を求めました。

しかし、事件から10年近く過ぎてようやく出てきた示談書にあったのは、「補償」と呼べるものではありませんでした。「146万円を受け取ることに同意し、加害者を永久に免責する」アメリカ政府が支払う慰謝料はたった146万円、しかも、今後一切請求しないことが条件でした。

米兵タクシー強盗から11年 賠償金日本が肩代わり

宇良宗之さん「謝罪1つも米軍側からなく」「見舞金だけで…納得させようと押し付けるような形で取らされるのが悔しかったんですね」そこで、宗之さんたちは裁判に挑みました。「SACO見舞金」という制度を活用するためです。

それは、裁判で確定させた損害賠償額とアメリカが示した額の差額を日本政府が支払うというものです。宗之さんは、去年、裁判で確定させた損害賠償1700万円が全額支払われるよう日本政府に求めました。

防衛局職員が謝罪「(補償の)時間がかかってしまったことに関しましては申し訳ないと思っておりますので…(頭を下げる)」

そして、きょう… 国は宗之さんにアメリカ側が提示した146万円との差額を支払うとようやく伝えたのです。日本政府は1500万円余りを支払う見通しです。