世界一危険と言われながら使用され続ける普天間基地。返還合意から4月12日で22年となりました。しかし、返還の時期はまったく見通せないだけでなく、所属機の事故やトラブルで県民の不安は増しているのが現状です。

橋本総理(当時)「普天間飛行場は、今後、5年ないし7年ぐらいに、これから申し上げるような措置が取られた後に、全面返還されることになります」

普天間基地の全面返還が発表されたのは1996年4月12日。仮に合意通りに進めば、遅くても2003年には普天間基地は返還されていたはずでした。しかし県内移設を条件とした返還計画は難航。その間、2004年の沖縄国際大学へのヘリ墜落事故などを経ても普天間基地は使用され続け、2013年に発表された在日アメリカ軍再編の統合計画では、返還時期は「2022年度またはその後」と先送りされています。

その後も「移設なき返還」を求める世論が辺野古への新基地建設阻止を掲げる翁長県政を誕生させました。辺野古ありきで普天間基地の返還を考えてきた政府と県の対立は激しさを増し、さらに返還の時期は不透明になっています。

普天間基地の早期閉鎖返還を訴えて会見した佐喜眞宜野湾市長は「普天間第二小学校のグラウンドに約8kgもの米軍ヘリの窓が落下するという重大事故が発生するなど、この22年間、危険性は放置され続け」と述べ、普天間基地の運用が続く現状は「危険性の放置」だと語気を強めて批判しました。

ここ数年相次いでいる墜落や不時着、窓の落下といった事故は、老朽化、部品の不足など、様々な背景が指摘されています。しかし、県などが求める「徹底点検」や飛行停止は実現せず、県全域に飛び火している普天間基地の危険。

佐喜眞市長は「あらゆる方策を講じ、1日も早い返還と基地負担軽減を早急に実現していただくよう強く求めます」と述べました。

一方、翁長知事は12日、「問題が解決されない大きな要因は、県民の理解が得られないまま、県内移設ありきで物事を解決しようとする政府の姿勢にある」とコメントを出しました。

宜野湾市民、県民の命の危険はあと何年放置され続けるのでしょうか。

普天間基地返還合意から22年