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きょう9月7日は、72年前に沖縄戦が公式に終結した日です。その舞台となった沖縄市の人々の挑戦と、ある人の想いを取材しました。

「ギネス記録達成です」

平和の折り鶴で世界一を

きょう沖縄市で生まれた「世界一長くつなげた折り鶴」のギネス記録。9月7日を「市民平和の日」とする沖縄市が取り組んだもので、鶴は一つひとつ市民の手によって折られました。

72年前の9月7日、旧越来村森根、現在の沖縄市で日本軍がアメリカに対して琉球列島の無条件降伏を受け入れる降伏文書に調印。これにより沖縄戦は正式に終結し、また沖縄は本土から正式に切り離されました。

平和の折り鶴で世界一を

眞榮城玄徳さん「すごいよ。折り鶴を織る意味、これを考えることがとても大事」

目をほそめて話す眞榮城玄徳さん。降伏調印式のあと米軍に接収された森根地区出身です。

眞榮城さんは現在「くすぬち平和文化館」の館長を務めています。

平和の折り鶴で世界一を

眞榮城さん「平和な時代じゃないと子どもたちも幸せにはなれませんし、それがすべての前提だと思うんです。それを発信する場所になれたらなと思ったんです」

平和の折り鶴で世界一を

沖縄戦当時2歳だった眞榮城さんに戦争の記憶はありませんが、父の命や家族が暮らした土地を奪った戦争を二度と起こしてはいけないという思いから、ここで平和に関する企画展や集めた書籍などを公開しています。

眞榮城さんが、あるものを見せてくれました。

眞榮城さん「だいぶ古くなっているんですが。一体、自分の生まれたふるさとがどういうところだったのか、それを知ることはすごく興味がありました」

森根に暮らしていた人たちへ聞き取りを行い完成させた、基地の中に消えたふるさとの地図です。

平和の折り鶴で世界一を

眞榮城さん「チヌシー。これは森根の象徴といってもいいかと思うんですが、小高いサンゴ礁の岩山。この岩山から本土に渡航する人たちを見送ったという話を聞いたことがあります」

公民館や広場がありにぎわったその中心地で、降伏調印式は行われました。

平和の折り鶴で世界一を

眞榮城さん「(森根の人たちは)帰りたいと思って70年間も待ち続けても帰れない。どんな思いで亡くなっていったんだろうと思う。国はこの土地をアメリカに提供するのが高度の公共性があるという言い方をします。基地というのは公共の福祉に寄与するものではないと思います。人の命を奪い、事件事故もあります。若い世代が歴史の真実と向き合うこと、日本を含めて沖縄の近現代史を学ぶこと、それが今求められていると思う」

一人ひとりの力がつながった全長9.7キロに及ぶ折り鶴。9月7日という日をどのように捉え、伝えていくか。それも一人ひとりに託されています。

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