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戦後70年企画「遠ざかる記憶、近づく足音」です。埼玉から移住した児童文学作家が先月絵本を出版しました。

心に閉じ込めていた沖縄戦の記憶を、認知症になったことで忘れた主人公のおばあちゃんとその家族に、戦争を語り継ぐ思いを重ねます。那覇市の松川小学校。この日、4年生を対象にした本の読み聞かせが行われました。タイトルは「わすれたっていいんだよ」。沖縄戦を経験したおばあちゃんを主人公にした3世代家族の物語です。

読み聞かせ「いらっしゃいませ。私の家は神奈川県川崎市で小さな沖縄料理店をやっている。」

上條さなえさん。児童文学作家、この本の作者です。

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上條さなえさん「本土にいきた人間として若いころから沖縄の悲劇をきいて私たちは責任感を感じていた。基地をいっぱい引き受けてくれて犠牲になっている。いつか沖縄に遊びじゃなくて何か貢献できることでいかないとという気持ちが募った。」

絵本は、沖縄料理は得意だけれでも、沖縄戦の記憶からムーチーだけはどうしてもつくることができないというおばあちゃんが主人公です。

絵本「ばあちゃんがこどものころ日本は戦争でね、たくさん爆弾落とされて食べるものがなくて、特に沖縄はひどかったのよ。おばあちゃんのお母さんはもち粉が手に入ったからおばあちゃんの誕生日にはせめてムーチーを食べさせてあげようと、月桃の葉を取りにいったんだって。そうしたらアメリカ軍に撃たれて死んでしまったの。」

絵本は、認知症になり沖縄戦で母を亡くした過去から開放されたおばあちゃんが、やっと誕生日をムーチーで祝うことができるようになり、悲惨な戦争の出来事は娘や孫が語り継いでいくことを決意するという内容です。

上條さんはこれまでに一般書を含め56冊を出版しています。その半分以上がさんまやキャラメルなど食べ物がモチーフです。それには、ある理由がありました。

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上條さなえさん「沖縄の亡くなった方たちへの思いがあった。子どもに食べさせたいという思いがあったでしょ。(当時は)何もなかった。10歳の日にホームレスになって1日1食しか食べられないとか全然食べられないとかそういう日々を過ごして3食たべられるってこんなにありがたいことなんだって思ったこと。そいうことが原点にあると思う。」

上條さんの父は戦争未亡人だった母と再婚しました。こどもの頃から、母からは戦争の辛さ、理不尽さを聞かされて育ちました。

上條さなえさん「母が戦争未亡人で、生きている間中、戦争さえなかったらといい続けていた。戦争て残酷だなというのをいつも隣にいて思っていましたし、本当に戦争さえなければ人々がもっとおさまるところにおさまっていたんじゃないかな。母の戦争さえなければを伝えるのが私の役目だと思う。」

上條さんは、沖縄移住を決めた時、認知症になった母の過去と向き合い、語り継ぐ覚悟を絵本で表現することにしました。平和の礎や戦跡などを巡り、沖縄戦の惨状を肌で感じた上條さん。それは母の「戦争さえなければ」という言葉と重なり、戦争や平和への思いがさらに強くなったといいます。そして先月、ムーチーをモチーフにした57冊目の本が誕生しました。

上條さなえさん「わーきれい沖縄の海みたい。ほら。本当に嬉しい。この一ページのためにこれをかいたのかもしれない。ムーチーを絶対にだしたい。沖縄戦のことがあったから、そういう物語がいくつもあったんだろうなと思って。」

上條さんが本に込めたのは、大切な記憶さえ封じ込めてしまう戦争の辛さ。

上條さなえさん「ここだけページが白黒でしょ?モノクロになっていてやっぱり戦争ていうものが、色を与えない本当に過酷なもの、過酷なあれなんだってことを伝えたかった。」

穏やかな時を一瞬にして飲み込み奪い去ってしまう戦争の脅威。

上條さなえさん「母と子のこの姿から、戦争ってこんなに愛しい人たちを亡くしてしまう。殺してしまうものなんだよってことを伝えたかった。」

上條さんは、戦争未亡人となった母へ「戦争の出来事は自分が伝えていくから」「忘れたっていいんだよ」と言えなかった自分への思いが物語に紡がれたのです。

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上條さなえさん「わすれたっていいんだよっていう題名なんだけど、それは逆にいうと私たちが残されたものが忘れちゃいけないっていうメッセージなので、忘れないでバトンをついでいくことが反戦平和の一歩だとおもう。」