※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
シリーズ5・15 沖縄バヤリース解散へ

シリーズ5・15です。復帰を機に、沖縄に誕生した会社があります。皆さんご存知の「沖縄バヤリース」です。復帰から42年の今年、会社は大きな決断をしました。

安里祥徳会長「まぁ沖縄風とアメリカ風とミックスしたような感じなんでしょうかね」

多くの日本人従業員で賑わう、パーティーやピクニック。沖縄バヤリースの前身、アメリカン・ボトリング社の様子です。沖縄バヤリースの安里祥徳・現会長は当時、総務部長を務めていました。

安里祥徳会長「アメリカの祝祭日に、星条旗をこの会社に立てとったんですね。日本の国旗も揚げるようにしようと申し入れたんですが、断られましたね。」

シリーズ5・15 沖縄バヤリース解散へ

しかし復帰直前、安里会長はアメリカ人社長から突然通告を受けます。

安里祥徳会長「日本に復帰すると、本土の大手のメーカーが沖縄に入ってきて厳しくなるかもしれない。したがって沖縄から引き上げる潮時じゃないかという風に外資の方々、オーナーたちは判断したわけなんですね」

突然の会社の解散。営業を引き受けるという会社も現れましたが、従業員は引き継げないと伝えられました。

安里祥徳会長「我々十分やっていけるんだと、バヤリースは有名ブランドだったし、そして3000店舗の取引先があるし、我々は製造の方法は知ってるし、マーケットは持ってるし、我々がこの会社を引き継いでもうまくいくだろうという判断をしましてね」

そして、復帰の年1972年に、安里会長ら従業員が出資して誕生したのが「株式会社沖縄バヤリース」でした。社員イコール株主という、特徴的な会社の誕生です。

シリーズ5・15 沖縄バヤリース解散へ

草柳記者「皆さんよくご存知のバヤリースオレンジ。実は復帰の翌年に建てられたこの工場で40年以上にわたって作り続けられてきたんです」

安里祥徳会長「散々苦しい目に遭いました。(昭和)48年はですね。順調に製造が出来なかったと、瓶が製造ラインから落下したり、それから充填時に破裂をしたりということで。アメリカ人が経営しているときはバヤリースは美味しかったのに、お前たち地元の沖縄のものがやったら不味くなってるんじゃないかということで、ずいぶんお叱りも受けたんですね」

果汁を増やしてJAS規格を取得したり、瓶を小型化してコストを下げたりすることで、経営はようやく軌道に乗り始めました。復帰前、31社あった同業者が次々に本土の大手に吸収されていく中、沖縄らしさを追求してきた沖縄バヤリース。しかし、ピーク時の2004年に16億5000万円近かった売り上げは、去年、8億4000万円余りまで減少しました。

友利政人・情報部長「もともとあった外資系の企業、その営業基盤を引き継いでそこに雇用されてるメンバーで立ち上げてきたところなんで(中抜き)やっぱり市場にそれだけのものを残してきたという、バヤリースというブランドですね。厳しい業界の中で42年間存続していたとは思います」

シリーズ5・15 沖縄バヤリース解散へ

そして今年、沖縄バヤリースが出した結論。それは、42年前と同じ「解散」でした。

上間長恒社長「銀行関係の借入金とか他者への債務も一切返済してそれから従業員への退職金も支払って、支払った後、出資者へも株主への出資金も返済できてきれいに手じまい出来るという見通しが立ったもんですから」

バヤリースの営業権は、アサヒオリオンカルピス飲料に譲渡され、製造・販売が続けられます。

上間長恒社長「今までと同じ形、同じ色と味とラベルでですね残していくということで、店頭に関する限り従来と同じ製品がずっと展示販売されていくということになりますので」

安里祥徳会長「私たちが42年間も営業やることによって、地元の産業にとっていくらかプラスになったんじゃないかという風に思うわけなんですね。それはですね、私たちが築き上げたブランドがそのまま生き残っていくということについては、むしろ誇りらしきものを感じます」

復帰から42年。沖縄に受け継がれてきた味は守られるものの、復帰と共に歩んできた会社が、また一つ姿を消そうとしています。

シリーズ5・15 沖縄バヤリース解散へ