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東日本大震災から3年 3 原発から逃れたけど〜母達の苦悩〜

現在、2ヵ月に1度。那覇市民会館で音楽鑑賞をしたり、県産野菜そして手作りのケーキなどを販売する「おむすび市」。

主催するのは、震災を機に東北や関東から避難してきているお母さんたちです。

神奈川県の沿岸部に住んでいたAさん。福島原発事故当時、出産2ヵ月前でした。

Aさん「子供が頭が痛いとかちょっと体調が悪くなり始めてちょうどその時出産だったのであまり詳しく調べることができずにそのままにしてしまった。どんどん悪くなって経験したことのないくらい咳が止まらないとか出てきて・・・。」

体調不良の中震災から2ヵ月後の2011年5月に出産。しかし、生まれてきた子の背中には日に日に大きくなる「しこり」がありました。検査の結果「腫瘍」と診断されましたが、原因は不明でした。依然として咳が止まらないAさんに加え、体調不良を訴える長男、そして生まれてきた二男の腫瘍。なぜ?という不安から様々な所で調べ始めました。

Aさん「そしたら原発の爆発の影響があるんじゃないかというところに行きついてわからないことが今でも多いということがあってわからないならばできる限りのリスクの少ない場所へ移動したり防御できることを自分なりにしてみようと原因を突き止めるより先に、避難しようと決断。(2012年4月)沖縄の病院で次男の腫瘍切除を行ないました。」

Aさんのように子どもの健康被害を恐れて福島県の近隣からも避難している家族は多い一方で、その数は把握されていません。まして、原発事故から3年が経ち、原発避難者は「ただの移住者」として暮らしていることも多いといわれています。

先月、会では86年のチェルノブイリ原発事故により、被ばくした子ども達を20年以上に渡って保養のため受け入れてきたNPOの代表・野呂美香さんを招いて勉強会を行ないました。

東日本大震災から3年 3 原発から逃れたけど〜母達の苦悩〜

野呂美香さん「自分が馬鹿にされようと袋たたきに遭おうとやっぱりこれは放射能のせいなんだ。子ども達を助けたい何とかしてくれということをいってくださるお医者さんがいるのか日本に。3年経って(ガンまたは疑いが)75人も出てるのに。」

野呂さんはすでに福島でも小児甲状腺がんが数多く確認されていることを上げ、チェルノブイリ同様、今後子ども達への健康被害は増え続ける可能性を指摘しました。

参加したお母さんの声「埼玉から来たんですけど埼玉は(原発から)微妙に遠いんですよねだから安全だと思われていて、危ないのはわかってるので(気持ちは)変わらないですよね時間経てばたつほど悪くなっているのもわかるし。」

放射性物質がもたらす健康被害は予測ができないからこそ母親たちは危機感を募らせているのです。おととし10月。沖縄県民医連と医療生協は。避難者からの要請を受けて、無料の健康診断を実施。合計で112人の子どもの甲状腺検査を行ないました。聞き取りによると、その中には経過観察が必要とされた子どもも多くいたということです。

東日本大震災から3年 3 原発から逃れたけど〜母達の苦悩〜

民医連「結果についての学術的な評価が私たちはどうなるのかなと、ただその時の状態を残さないと将来に渡っての治療に結びついていかないので、今の状態を正確に残すのを基本にするしかない。」

しかし、健診から1年半。国からの補助もないことから次の健診は未定。経過観察とされた子ども達がどうなっているかわかりません。

民医連「(検査から)2年目にもう一度やる必要があると言われているんですが今後の健診の方法については(費用を)国が責任を持つべきだと私たちも思っている。」

Aさんはこの健診で長男の甲状腺に液体のたまった袋ができる「のう胞」が確認されたと言います。

Aさん「元気なんですが健康診断をするといっぱいチェックが入る。不安を感じたくなくて一生懸命活動しているのかもしれない。」

慣れない土地での避難生活、わが子の健康への不安に加え、原発への懸念や事故への関心は年々低くなっている現状。臨床心理士の伊藤医師は震災から時間が経つにつれ、避難者の健康被害だけでなく心の問題も表面化してくると話しています。

東日本大震災から3年 3 原発から逃れたけど〜母達の苦悩〜

伊藤臨床心理士「時間が経つにつれて避難者被災者の苦しみ価値観も多様になっている。たぶん受け入れる側の価値観や気持ちも多様になっているそこをうまくつないでいくのが時間が経つにつれて難しくなる。避難者の方もそれぞれ悩みや苦悩を抱えて決断しているそれはどの決断が正しいということでもないし一人一人の事情があること。」

県臨床心理士会では、避難してきた母親たちの心のケアをするため定期的に無料の相談会を実施しています。あれから3年。汚染水漏れなど収束の目途が立たない原発事故、一方で人々の原発や放射能への関心や理解は日に日に薄れつつあります。子ども達の健康は誰が守ってくれるのか?母親たちはそんな葛藤の中、我が子の手を握りしめ祈るように生活しています。

Aさん「3年経って5年経ってもしかしたら10年20年(こういう活動は)ずっとやっていかないといけない事なのかなと感じています。」