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武藤類子さん「この事故によって大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち。若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。」

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武藤類子さん「私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れるものも、福島の地に留まり生きるものも苦悩と責任と希望を分かち合い支えあって生きていこうと思っています」

ご覧頂いたのは、東日本大震災の半年後に東京で開かれた「さようなら原発集会」で挨拶にたった、福島女たちの会の武藤類子さんです。

このときの言葉は何カ国語にも訳されてネットを駆け回り、このような本にもなりました。すっかり、福島の反原発の顔になった武藤さん、それまで人前に出ることもなかったという素朴な方なんですが、先週沖縄沖縄を訪れていました。

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毎朝、普天間基地の前で展開されるオスプレイ抗議行動も6か月目。その様子を見つめるのは福島に住む武藤類子さんです。

武藤類子さん「福島から参りました武藤類子と申します。福島原発事故が起きて2年が経とうとしているんですけれども、福島の現状は本当に今ひどくて。これはやっぱり一つの国が犯している重大な犯罪だと思ってるんですね。」

国家が犯した大きな犯罪。それが問うことが、未来の世代に対する責任だと、武藤さんを団長にが国と東京電力を刑事告訴しました。

女性「事故という名の人災であり、犯罪です」

男性「1年経っても責任が全くわからない。納得できない」

女性「国策の名の下に隠されてきた人々を許してはならない」

原発の責任を明らかにしながら、生きる力を取り戻したい。武藤さんの呼びかけに応じ、第二次告訴団は1万3千人にふくれあがっています。支援を求めて、武藤さんは積極的に全国を飛び回っています。

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高江では早速、オスプレイの出迎えを受けました。基地建設という国策に翻弄され続ける辺野古。座りこみ3239日という看板に圧倒されます。

ヘリ基地反対協 安次富浩さん「基地建設にはおそらく1兆円かかるんですよ。1兆円近くのお金を全額日本政府が負担するんですよ。それよりは3.11以降の被災者対策にお金を使うべき。人殺しのための基地を作るのは論理的におかしい。」

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武藤類子さん「私たちは国を相手にした告訴というのを始めたばっかりなんだけれど、長い沖縄のいろいろな闘いって言うのも、黙っていたのではやられてしまうんだという所から始まったんじゃないかなと思うんですね。人間っていうのは、すごく弱いようでも、最後の最後、侵されたくないものというのが必ずあるわけです。」

夜は武藤さんたちの映画の上映と現状報告会。 復興のアピールと安全キャンペーンの影で取り残されていく福島の実状を訴えました。

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武藤類子さん「その原発の中では、一日3000人の人達が働いています。被曝しながら働く労働者達ですね。本当に線量の高いところで働いている人達がいます。その労働者の60~70%は福島県民なんですね。」

武藤さんは養護学校の教員をやめ、福島の山の中で暮らしています。自然エネルギーを活用した自然食の喫茶店を開き、理想に向かって突き進んでいた時に、原発事故で閉店を余儀なくされました。

武藤類子さん「なんで福島の人は怒らないんだ?もっと怒っていいんだということ、いろんな所に行くといっぱい聞いていたんだけど、福島の人達が怒ってないなんてそれはとんでもない。事故後、ものすごく私の中にも怒りというものがすごくこう、渦巻いていましたけれども、本当にこれは心して立ち向かわないといけないことだ。そういうときに自分の中の冷静さと明晰さを失ったら、向かっていく矛先を間違えるんじゃないかとすごく思ったんですね。」

避難する・しない。補償がある・ない。食べる・食べない。あらゆる分断や対立にさらされながら国を相手に先の見えない闘いをする不安も拭えません。

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武藤類子さん「今、自分がやっていることはね、本当に後始末の雑巾がけなんだってすごく思ってるんです。私の世代はやっぱりそれをやらなくちゃいけないっていう風に思ってるのね。でも私、やっぱり沖縄がね、何十年もこうやって戦い続けて生き延びてきたっていうその生き延びたことがね本当にすごいなって今回思ったんですね。だから私たちも生き延びようって思いました。今回一番感じたのはそれかな?」

全国の人と繋がることが「力」。そのためにもそれぞれの地域に避難していった仲間達の存在が希望の種だと武藤さんは言います。

武藤類子さん「本当に自分の命の声にしたがってこんなに遠くまで避難してこられた方々の本当の勇気を尊敬したいと思います。本当にお疲れ様でした。よく今日まで生き延びてさって本当にありがとうございます。心からうれしく思っています。」

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