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現在の豊見城市にある旧海軍司令部壕。アメリカ軍に包囲され、すでに孤立していた司令部の大田實司令官は1945年6月13日午前1時頃、この司令官室でけん銃自決を遂げました。

13日、40回目を迎えた慰霊祭には、10年ぶりに大田中将の11人の子どものうちすでに亡くなった1人を除く10人全員が出席しました。慰霊祭の後、遺族らは司令官室を訪れました。

「県民は壮青年の全部を防衛召集にささげ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身をもって軍の作戦に」「沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」

終始、壮絶な県民の苦労を中央に伝えた死の直前の電報はあまりにも有名です。

二女・すが子さん「県民の皆様のために、なんとかしなければいけないと、本当に思っていたと思います」

二男・浩さん「(電文の言葉が)いかされればいいけど、いまだにいかされているとは思えない」

四女・昭子さん「いかに皆さん苦労したか。沖縄の方を忘れないように、私も思いました。大変でしたね、本当に沖縄は」