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エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。新聞配達の少年に話しかけていたのはのちに摩文仁で自決する事になるあの軍人でした。

翁長良義さん。当時13歳だった翁長少年は毎朝、首里で新聞配達をしていました。「僕の配達区域の中に偉い人がいたわけよ。いつも会うとたくさん勲章を付けていて触らせてもらっていた。牛島中将であるわけよ。」

5月、シュガーローフの激戦が終わるとアメリカ軍は指令軍のある首里へ一気に攻め入りました。

「上から映画みるよう日本軍とアメリカ軍との戦い。鉄砲に刀を差して白兵戦をしていた。もう両方とも逃げないわけよ大変な大戦だった。」

首里城にアメリカ軍が迫ってきた日、翁長さん家族はある部隊について逃げました。そこには。

「部隊と一緒に金城の坂を下りて識名を上がると松林があった。そこで(牛島中将が)坊や元気だったかと」

そして、翁長さんはその夜、牛島司令官に手を引かれ、一日橋を南へ逃げたといいます。

「司令官が糸数の壕を探して。大きくて安全だからいきなさいと教えてもらって」

砲弾が飛び交う中、翁長さんはその言葉を信じ、南を目指して逃げ続けたのでした。