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65年前の2月、近づく戦争の足音に当時の行政は緊急態勢に入りました。

1945年2月、県はいよいよ行政体制を戦時体制へと移行しました。新聞にはその体制について、県政の中央の機能を各地方に分散させる機構改革とともに、沖縄本島の県民の多くを北部へと移動させる具体的計画も示されています。

当時発表された県民の移動計画は那覇と首里、そして中頭・島尻郡からあわせて10万人を国頭郡に移動させる事を決めています。

しかしこのあと、北部を含む沖縄の各地で戦闘が繰り広げられ、多くの人が巻き込まれることになるのでした。