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宮良ルリさん「元旦はとてもご馳走を作っていただいて、やはり生徒たちの心を慰めようとしたのか、あの頃は分かりませんでしたけどああ美味しいご馳走が出た、素晴らしいご馳走が出たととても喜んだんですよ」

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1945年、故郷の八重山に帰れなかった宮良さん、そしておなじく先島出身の学友たちは、寮の一室で過ごし、そこでお正月を迎えました。戦争が近付き食料も物資も無いなか、心づくしの正月料理が出され、彼女たちは歓声をあげお祝いになりましたが…

宮良さん「そこで色んな遊びをして楽しんだんです。コックリさんなどよくやりまして、コックリさんコックリさん、と言って」「そういうことしたりして、ちょうどコックリさんをしてるときに空襲警報があったんです」

宮良さん「学校の防空壕に、遠いところには行けないからそのまま近くの防空壕に避難したということを覚えています」「その時点でもうお正月気分は吹っ飛びました。もう正月でもなぜアメリカ人は正月にも爆弾を落とすのという気持でした」

この2か月半後、宮良さんを含むひめゆり学徒隊は、南部の戦場へと動員されます。悲劇はそこまで迫っていました。