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あの日から64年、忘れない一日。

記者「時刻は午前7時、平和の礎にはことしも多くの人が訪れ花を手向け祈りを捧げています。64年という長い時間も人々の心の傷をぬぐうことはできません」おじいさん「激戦地この近くで捕虜にされた(略)戦争の苦しさは大変なもの」おばちゃん「忘れてはいけないですね戦争は。(礎を)見るたびにこんなにたくさんの人がなくなったんだねって思う」

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魂魄の塔にも多くの遺族が。遺族「ここに眠っているかどうかは分からない、遺骨がなかったので」遺族「戦争は二度とないほうがいい」遺族「おじいちゃんがたぶんここに眠っている」「祖母が生きていたときに戦争の話を聞いて、もうそういうことはない方がいいなと」

平和行進、祈りの行進も、摩文仁へ1000人の平和行進。参加者おじいちゃん「おばあちゃんが手榴弾から私をかばって死んだ。母と2人で生きてきた」参加者おばあちゃん「涙ぐみながら両親のことを思い出して歩いています。」参加者おばあちゃん「平和行進は自分が元気なうちはやろうと思っています」

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平和を願い、ひたすらに歩く。

その頃、おなじ糸満市では佐藤大臣が不発弾爆発事故現場へ。爆発の衝撃で窓が吹き飛んだ老人ホーム偕生園。佐藤大臣「皆さん怪我がなくてよかったですね、ずいぶんきれいになりましたからこれから不便なく暮らせると思います」

終わらない戦後、戦時遭難船舶慰霊祭、各地では祈りの声が響く。遺族の高齢化も。参列者女性「64年前を思い出して悲しいですね」参列者男性「安らかに眠ってちょうだいと…」

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ひめゆり平和祈念館は今年開館20年。記憶を語り継ぐ人々には節目の年。宮城喜久子さん「伝えることの基盤がこの刻銘版。一人一人の死を通して平和や命の大切さを語ると」「227名の亡くなった大事な名前をこうしてちゃんと刻銘出来てよかったと思っています」刻銘版には学徒隊の犠牲者のほか、戦死した一高女や女子師範の友人の名も。

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そして糸満市摩文仁。64年目の夏が、ことしも。

時報 「黙とう

仲井真知事「平和を希求してやまない沖縄の心を礎に」麻生総理「(基地)負担の軽減に向け、地元の切実な声を伺いながら全力をあげてとりくむ」比屋根くん朗読「こんな青い空に こんなおだやかな沖縄に戦争は似合わない祖母のくしゃくしゃな涙も似合わない」

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終戦から64年目の慰霊の日、今年も遺族ら多くの人が参列していますが遺族の高齢化という問題も・・・ 焼香した遺族「兄がふたり戦死しました」焼香した遺族「母が亡くなるまで戦死した息子のことを思い続けていたので、その母の遺志を継いで今日やってきました」

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比屋根くん「平和を祈る人を代表して気持ちを込めて書きました」「戦争は二度となくしてほしい。そして国語辞典からも消してほしい」

比屋根くん朗読「ぼくは車いすを押して祖母の祈りを引きつぐ、戦争のない平和な国を」

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