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子ども達を含む17人の命が奪われた惨事から30日で50年です。

うるま市の宮森小学校ではアメリカ軍のジェット戦闘機墜落事故の犠牲者に対する追悼集会が開かれました。事故は50年前の1959年6月30日午前10時40分ごろ、嘉手納基地を飛び立ったF100ジェット戦闘機が整備不良のため墜落し、当時学校にいた児童11人を含む17人が死亡したものです。

追悼集会には仲井真知事のほか、全校児童や遺族が出席し、亡くなった児童を慰霊する仲良し地蔵に献花しました。仲井真知事は「みなさんが平和を願って行動していることは、とてもとても大切なこと」と追悼の言葉を述べました。そして児童の代表が平和の鐘を鳴らし、参加者全員で黙とう。悲惨な事故から半世紀を迎えた学び舎は静かな平和の祈りに包まれました。

集会では、事故当時宮森小学校の2年生だった平良嘉男校長が「事故当時のことは50年たっても決して忘れることはできません。命と平和の尊さを全国に訴えましょう」と挨拶しました。そして児童らが「僕たち、私たちは誓います。平和な沖縄をつくることを。平和の心を磨くことを」と呼びかけました。

追悼集会のあとには、事故から半世紀となるのを機に亡くなった児童の写真や当時の記録を展示する宮森630館が開館し、訪れた人は事故の悲惨さを物語る一枚一枚の写真に、静かに見入っていました。