1945、佐久本喜範さんは鉄血勤皇隊として金武へ。空襲が激しくなった3月下旬、県立二中の5年生だった少年は、鉄血勤皇隊として金武に配属されました。 佐久本喜範さん「小禄(飛行場の)掩帯壕づくりとか高射…
65年前、少女は、終業式を目前に家族で北へと逃げました。 当時の楚辺小学校高等科1年生だった照屋文子さん。教室は日本軍に取り上げられるなか、登校時には決まってすることがありました。 照屋文子さん「ルー…
『1945年3月18日(日曜日)日の出と日没時に総員配置。きょうも荒れた夜が続く』 65年前のきょうから始まった「アメリカ一水兵の沖縄戦日記」。アメリカに住むセア・ビビンズさんは終戦から43年後、名護…
占領したサイパンやグワムから日本本土を空襲し始めたアメリカ軍。より効率よく進めるため、次に狙ったのは、サイパンと東京のちょうど中間に位置する「硫黄島」でした。 65年前の2月19日、遂にアメリカ軍が硫…
戦時情勢が厳しくなる中、八重山では農林学校の生徒を中心に鉄血勤皇隊が編成され、軍事教練に駆り出されました。 1944年10月、国は「緊急学徒勤労動員方策要綱及び決戦非常時措置要綱」に基づく「学徒動員実…
1945年3月から5月にかけ、県警や県庁職員が避難しつつ職務を遂行したのが那覇市の「県庁壕」でした。 那覇市の識名霊園近くの「シッポージヌガマ」を整備したこの壕は「県庁壕」と呼ばれています。 県民の県…
65年前、政府は学校の授業を1年間停止することを決定します。 主要都市の殆どがアメリカ軍の大空爆を受け緊迫する事態の中、政府は臨時閣議を開き「決戦教育措置要綱」を発表。国民学校初等科を除き、4月から1…
住民、学徒総出で決戦の日に備えていた沖縄。しかし、日本軍の戦況は悪くなるばかりで、沖縄守備隊も部隊配属の変更など、戦いの前から苦しい状況となります。 ごつごつとした石灰岩の岸壁。そこには自然に出来た窪…
65年前の今日は積徳高等女学校の生徒たちが南部に入って看護実習を始めて三日目。二度と泣かないと誓約書を書かされた少女もいました。 仲里ハルさん「君らは軍服こそつけていないが初年兵だということで、ものす…
3月上旬、県内の女子学生たちにいよいよ動員命令がくだります。 65年前の3月6日。この日、県内の女学校4校に動員命令が下りました。このうち、積徳高女とともに看護教育のために24師団野戦病院に動員された…