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1945年3月から5月にかけ、県警や県庁職員が避難しつつ職務を遂行したのが那覇市の「県庁壕」でした。

那覇市の識名霊園近くの「シッポージヌガマ」を整備したこの壕は「県庁壕」と呼ばれています。

県民の県外・北部への疎開に力を尽くした荒井退蔵県警察部長をはじめとする県警職員らが3月から避難していた壕で、4月からは島田叡知事と教学課や人口課など県庁職員も合流していました。

4月末、日本軍は非戦闘員に対し、首里から撤退するよう命令したため、県はこの壕で戦中最後の市町村会議を開催。集まった17人の市長村長と県知事ら首脳は最後の戦場行政に臨んだのでした。

この一カ月後の5月末、県庁壕の人々は軍司令部とともに摩文仁へと移動します。