1945年3月上旬、県外への疎開が打ち切られます。1944年7月から始まった県外疎開は、沖縄本島・宮古、八重山、奄美などから10万人の子どもや高齢者を本土や台湾へと移送する計画でしたが、県民が最初のう…
アメリカ軍の上陸が迫る中、本島中南部から国頭地区への疎開が本格的に始まります。 65年前のきょうの沖縄新報。そこには国頭地方への疎開者に対する食糧計画が確立されたという記事があります。 「特に疎開者に…
65年前のきょう、小磯国昭内閣は沖縄戦を想定し、女性や子どもなどを本島北部に疎開させることを閣議決定します。 陸軍大将・小磯国昭は1944年7月に第41代の首相に任命され、政策・軍事面で行き詰っていた…
第二次世界大戦中、尖閣諸島近海でアメリカ軍の攻撃を受け、沈没した疎開船の遭難者の冥福を祈る慰霊祭が3日に石垣市で行われました。 1945年7月3日、石垣から台湾へ向かった集団疎開船「第五千早丸」がアメ…
美ら島の提案です。古くなった民家を解体したときに出る、多くの古い材木はこれまで廃材として捨てられ、焼却されていました。しかしこの古い木材を新たな建材としてよみがえらせる「古材リサイクル」が注目を集めて…