特集です、きのうまで沖縄を訪れていた小泉防衛大臣。去年は先島地域で自衛隊の状況を視察していた一方、今回は沖縄本島への訪問は初めてとなりました。
名護市では、新基地建設が進むキャンプ・シュワブにあるヘリパッド「フェニックス」閉鎖の方針も示され、負担軽減を示した形になりました。小泉大臣の訪問を、改めて振り返ります。
小泉防衛大臣「地元で米軍機の離発着での騒音が問題になっている」「LZフェニックスについて」「その閉鎖に向けて調整中である旨伝えた」
視察を終えて沖縄を去る直前のきのうの夕方、一つの成果をこう述べた、小泉防衛大臣。視察初日のおととい、名護市の渡具知市長らとの面談の中で、市などが撤去を要請していたキャンプ・シュワブ内のヘリパッドを閉鎖をアメリカ側と調整していると表明したのです。
面談相手の渡具知市長は、2018年の初当選以降、辺野古新基地建設問題に対し明確な立場を示してきませんでした。一方で、基地建設が進むキャンプ・シュワブ周辺の辺野古、豊原、久志のいわゆる久辺三区と歩調を合わせ、政府と連携を強めています。
今回、閉鎖を調整しているヘリパッド「フェニックス」は、オスプレイやヘリが訓練で離着陸を繰り返しています。国立沖縄高専や辺野古区の住宅地にも近く、地元住民からも、閉鎖を求める声が根強かった場所です。
渡具知名護市長「私が市長に就任した1期目から要請を繰り返してまいりました」「離着陸帯『フェニックス』の撤去が実現されるのであれば、地元久辺三区を初めとする名護市にとっても非常に喜ばしいこと」
小泉防衛大臣との面談を終え、成果をこう強調した渡具知市長。政府側が名護市や地元住民の要望に応えた格好です。
一方で、今回のヘリパッド閉鎖方針の表明は、渡具知市長が3選目を目指して出馬を表明する市長選挙告示を今月18日に控えたタイミング。市政野党からは、懐疑的な見方も出ます。
「あまりにも唐突な話で、アメリカ側がOKしているのか疑問だ」「選挙に向けてのリップサービスではないか?」
橋本総理(1996年 当時)「普天間飛行場は今後5年ないし7年以内に、これから申し上げるような措置が取られた後、全面返還されることになります」
1996年、こう表明した当時の橋本総理。それから30年たっても、宜野湾市の真ん中に存在する普天間基地を、今回の視察で小泉大臣は見つめていました。
宜野湾市 佐喜眞市長「返還についての具体的な期日はお話はされていなかった」
宜野湾市が求めている、普天間基地の返還期限の明示は、今回もなかったといいます。
橋本総理(1996年)「この決断は、沖縄県及び沖縄の方々の強い要望を背景としてなされたものであります」
橋本総理がこう表明した数か月後、1996年末。日米両政府が沖縄の基地負担を定めたSACO最終報告がまとまります。ただ、普天間基地の返還は、県内移設が条件とされ、のちに日米が移設先とした名護市・辺野古、政治的な妥協や対立が繰り返されてきた中、政府は工事を進めていますが、普天間基地はいまも返還されないままです。
記者「(ヘリパッド)撤去に向けた調整はいつ頃までにするなど、まず具体的なスケジュール感などについては説明がありましたでしょうか」
渡具知名護市長「詳細については説明を受けておりませんので、具体的な内容については承知しておりません」
今回、閉鎖を調整中としたヘリパッドも、交渉の状況や条件の有無は明らかになっていません。
小泉防衛大臣「基地負担の軽減が目に見える形で図られるよう」「全力で取り組むことをお伝えした」
小泉大臣がこう宣言した裏で行われている日本とアメリカのやり取りについて、その推移を見守る必要がありそうです。
ここからは塚崎記者です。今回のヘリパッドの閉鎖表明ですが、改めてどのようなものなのでしょうか。
塚崎記者「日本とアメリカで閉鎖が調整中とされる『フェニックス』ですが、名護市の国立沖縄高専や辺野古地区の住宅地から最も近い場所にある離着陸帯です。地元からの閉鎖要求も根強かった場所で、今回の決定は基地負担の軽減につながると期待されます。
今後の見通しはどうですか。
塚崎記者「閉鎖時期やアメリカ軍との調整状況は不明なままです。アメリカ海兵隊にも閉鎖時期についてQABが質問したのですが『着陸帯の運用準備状況に関する情報は公開していない』と回答はありませんでした」
「閉鎖対象となる『フェニックス』の代わりとして別のヘリパッドの建設が条件として示されるなどがあれば、その代わりの施設を地元が受け入れられるのか、といった点も今後の争点になる可能性があります」
特集の中でも紹介しましたが、名護市では18日告示の名護市長選は、現職の渡具知市長のほか、前市議で新人の翁長久美子さん、新人の伊波勝也さんも立候補を表明しています。教育や福祉、地域振興などのほか、辺野古新基地建設も含め、基地問題についても活発な議論を期待したいと思います。
ここまで塚崎記者でした。
