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首里城正殿の復元工事で使われた木材の端材が一丁の三線に生まれ変わりました。職人たちが伝統の技を持ち寄り制作した三線に「託した思い」とは。

7月12日「漆の絆」復興三線除幕式。先月、一丁の三線がお披露目されました。その奏でるメロディーにのせるのは、復興への願いです。

ことし1月。あるプロジェクトが動き出しました。正殿の復元工事で使われた木材の端材から復興のシンボルとなる「復興三線」をつくるというものです。

その音色を届けたいのは首里城。そして去年相次いで自然災害に見舞われた石川県・能登半島です。巨大な琉球漆器とも称される首里城。一方、日本を代表する工芸品・輪島塗の産地である能登。それぞれが伝統の技を受け継ぎ、大切に守ってきました。そこで双方の技術を持ち寄り、三線を作り上げることで互いの復興機運を高めたいと取り組みがスタートしたのです!

漆塗りを担当 運天伊作さん「仕事を重ねていく上で 気持ちも入ってきましたししっかりつないで僕がやったものを輪島の職人が仕上げてこれを形にして残していくというのは深い意義があると思った」

今回、制作に携わるのは4人の職人。ひとつの工程が終わると次の職人へリレーのようにつないでいきます。6月には、地震・大雨の爪痕が残る石川県・輪島市へ。タスキを受け取ったのは、北濱幸作さんです。

第25回 週刊首里城「能登と首里城の復興願う"復興三線"お披露目へ」

蒔絵師 北濱幸作さん「震災がちょうど1月1日で雪が降っていたその時の印象で物を描いた方が良いと思って」

北濱さんが担当するのは棹部分の絵柄。金粉や銀粉をパラパラと蒔くようにして絵を描いていく「蒔絵」で表現したのは、輪島の冬景色です。輪島の名勝「窓岩」や海、雪の結晶をデザインしました。

蒔絵師 北濱幸作さん「イメージの中では多分(三線は)明るい音なんだろうなと。(施した蒔絵は)冬景色なのでちょっと相反するものはある。でもだから逆に面白いのかなって」

自宅兼工房は地震で全壊。9月の豪雨被害にもあいましたが現在も車庫を改装した小さなスペースで輪島での暮らしを続けています。

蒔絵師 北濱幸作さん「今やれることを少しでもやってそれがまた明日につながるように。誰かの明日につながるように。以前のようなものを取り戻す助けになれば。(復興三線は)思いが詰まったものなので、何年先になってもこんな風に こんな状況でつくったんだと伝わっていけば」

第25回 週刊首里城「能登と首里城の復興願う"復興三線"お披露目へ」

蒔絵が施された復興三線は組立を担当する仲嶺さんの元にありました。

皮張り・組立を担当 仲嶺幹さん(試し弾きをして)「うん、上等です。出来上がり」

こうして完成した復興三線。磨き上げられた艶のある棹に、蒔絵が輝きます。胴の部分には、左右で異なる色合いの能登上布と首里織が巻かれました。

皮張りと組立を担当 仲嶺幹さん「復興のために職人たちが力を合わせたとても感慨深い三線になって復興の音を奏でてくれそうな音色になっていると思う」

そして迎えたお披露目の日。能登半島の復興応援イベントで、輪島の人々、制作に携わった三線職人らが見守る中、県立芸大の学生たちがその音色を響かせました。

棹・胴の削り出しを担当 岸本尚登さん「ちむに心に響く三線ができた。つくるのは結構苦労したがみんなでつくり上げていっぺー上等三線が生まれている」

皮張りと組立を担当 仲嶺幹さん「響きのある思いの乗った職人の思いが乗った音色だと思った。諦めないという言葉が正しいか分からないが前向きになるような音色を奏で続けて欲しい」

第25回 週刊首里城「能登と首里城の復興願う"復興三線"お披露目へ」

輪島高校 川端遼太朗さん・川端勇胤(ゆういん)さん「自分の心を癒してくれるような音色だった。きれいな音色が復興の道を作ってくれてるんじゃないかと自分の中で勝手に思っていた」「沖縄の(復興三線の)音色を聞かせてくれたら、(輪島は)多分もっと盛り上がってくれると思う」

復興三線に込められた思いに触れた若者たち。復興へ、気持ちを新たにしていました。

県立芸術大学 石川未侑さん・池原輝飛さん「ひやみかせ!復興三線。首里城の再建の現状や石川県の能登の今の状況をこの三線を通して皆さんに知っていただけるような演奏をしたい」

輪島高校 川端遼太朗さん・川端勇胤さん「負けとられん。能登・沖縄。今、地元は元気がないというのか。前の輪島の活気とはまた少し違う雰囲気だが、自分たちが新しい輪島市を築けたら」

三線制作で生まれた絆。秋には、この音色が能登でも響く予定です。