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沖縄戦の激戦地だった、糸満市には未だ家族のもとに帰れていない戦没者が多く眠っています。戦後80年経った今も遺骨収集が行われています。

先月、学生中心の団体が収集活動を行いました。

糸満市束里の森に入っていく参加者たち。

「骨盤ですか?骨盤骨盤左の腓骨きれい」

沖縄戦 戦没者の遺骨収集

さらに歯、背骨、ろっ骨、戦没者の遺骨が「完全体」に近い形で見つかりました。

「根っこかな、引っ張ったら切れそう」

遺骨には雑草や根が絡まり参加者らがハサミを使い切っていきます。

この活動を年数回、沖縄で行っているのは学生中心のNPO団体・JYMA日本青年遺骨収集団です。今回、団体に所属する全国各地から24人の学生が参加しました。

沖縄戦 戦没者の遺骨収集

参加者は、ひとつひとつ遺骨を手に取ると丁寧にハケなどで土を落としていきます。関東の大学に通う鈴木宏悦さん。戦争の悲惨さなどを肌で感じたいと活動を始め今回の派遣で初めて沖縄を訪れました。

鈴木宏悦さん「遺骨収集に携われることに本当に感謝したいと思いますし、戦後80年経って戦争を体験した方々も少なくなって来ていますのでこの活動を通して少しでも戦争という歴史があったことを次の世代にも伝えていけるように仲間とともに遺骨収集をがんばっていきたいと思います」

鈴木さんは活動を通して改めて平和の尊さを感じたと話します。

鈴木宏悦さん「先人たちが一生懸命生きて来たからこそ、今私たちがこうやって平和に暮らしていけるわけですので、これから社会人となっていくので、まずは家族のためにそして大きく言えば日本のために一生懸命生きていきたいと思います」

沖縄戦 戦没者の遺骨収集

遺骨収集を進めていくとアメリカ兵や旧日本兵が使用したとみられる不発弾が見つかるケースもありました。

「おそらく足ですね」

今回は団体が去年、見つけたもので関係者などの許可を得て「完全体」に近い形で収集が実現しました。

団体の代表補佐を務める篠原永子さんは、曾祖父がミャンマーで戦死して遺骨がいまだ帰っていないことを家族から聞かされ、遺骨が遺族のもとへ戻らない現状を目の当たりしたことで入団を決意したと言います。

沖縄戦 戦没者の遺骨収集

篠原永子代表補佐「大学3年の春ぐらいに、たまたまSNSで遺骨がこれぐらい帰って来ていないという投稿を見た時に曾祖父を思い出して入団した」

まず先の大戦における沖縄戦にて戦没された方々に黙とうを捧げます。

黙とう

篠原さんは「国のために戦われて犠牲を払われた先人の遺骨は遺族のもとにお戻しすることが責務」だとと話します。

篠原永子代表補佐「自分たちでお迎えしたご遺骨をセンターにお渡しして、今回、(糸満市)束里で収容したところは歯とかDNAが残る部分も多かったので身元の特定に繋がってご遺族のもとへお返しすることが出来ればいいなと思いました」「平和と言うのは当たり前ではなくて、私たちが継承をしていかなくてはいけないものだということを伝えていきたいと思います」

沖縄戦 戦没者の遺骨収集

集められた遺骨は平和祈念公園の戦没者遺骨収集情報センターへ収容され今後、DNA鑑定をされるということです。