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政府が南西シフトとして進める自衛隊配備や、有事の問題などを考える「沖縄と自衛隊」です。きょうはそもそもどういった経緯で、「南西シフト」が始まったかを明らかにしていきます。

南西シフトは、2010年前後に策定された防衛省の計画を経て方向性が決まっていき、与那国島、宮古島、石垣島と陸自の部隊配備が行われました。当時、防衛大臣を務めていた北沢俊美氏に、当時の意図と、中国への攻撃拠点と化しているとも指摘される、先島の自衛隊の現状について聞きました。

北沢氏「10年前から、ガラッと変わった。私が(防衛大臣を)やっていたころは、尖閣諸島を中心にした中国の姿勢に対する考えだったが、ウクライナ(侵攻)を奇貨として、政府は台湾海峡問題にすり替えている」「そういう視点で、与那国島(の自衛隊)を話題にすると、かなり攻撃的な存在じゃないかと、与那国が。そう、国民に受け止められてると思う」

長野市内でQABの取材に応じた、北沢俊美元防衛大臣。民主党政権下の2009年9月からのおよそ2年間務め、東日本大震災での自衛隊の災害派遣などに携わりました。

北沢氏が在任中の2010年、政府が閣議決定した「中期防衛力整備計画」では、南西地域の島しょ部に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を配備する方針が盛り込まれています。

「自衛隊配備の空白」と説明された、先島地域を中心に自衛隊の増強が行われる「南西シフト」はこのころから、本格的に動き始めました。

沖縄と自衛隊(16)/元防衛大臣に聞く「南西シフト」の源流/当初の意図と現状のかい離は?

北沢氏「この飛行機は自衛隊の飛行機なんだけど、大臣専用なんだよ」「これでさ、与那国から鹿児島まで低空飛行で、辺野古以外に(普天間基地移設の)どこか適地がないかと思って、無人島も見て回ったんだよ」

大臣時代の資料を保管する部屋に、収められている一枚の写真。2010年3月、北沢氏が自衛隊機で降り立ったのは、与那国島でした。この時、北沢氏は当時の外間町長と面談し、自衛隊配備について、協議しています。

北沢氏「自衛隊を置くべきだという意見も国会で盛んに言われている」

北沢氏「北朝鮮の脅威が少し増してきたこと、それから尖閣諸島問題。そうしたものを合わせてちょうどターニングポイントだった。」「基本的には領土・領海・領空を守って、国民の生命・財産を守る基本動作からすると、先島に一定の警戒監視の機能を持たせるのは重要」 

与那国島に実際に自衛隊が配備されたのは、北沢氏が訪問してから6年後の2016年。「警戒監視」を掲げての配備でしたが、いま、ミサイル部隊配備やアメリカ軍との共同訓練など、軍事活動は拡大の一途をたどっています。加えて、政府が去年閣議決定した「安全保障関連3文書」。反撃能力の保有が明記され、先島に敵地攻撃用ミサイルが配備されるとの、懸念も渦巻きます。

北沢氏も、「南西シフト」で自衛隊配備を決めた当初の意図からのずれを指摘しました。

北沢氏「守りのための警戒監視。いま、ここはもう中国が台湾有事を起こした時の攻撃基地みたいなものだ」「(政府は)敵基地攻撃能力をどこに配備するのかは、戦略的問題だから答弁できないと平気で言って隠している」「そうすると、与那国の人も国民一般も与那国は、警戒監視だけじゃなくて、攻撃能力を持った先端基地と受け止められる」

沖縄と自衛隊(16)/元防衛大臣に聞く「南西シフト」の源流/当初の意図と現状のかい離は?

瑞慶覧氏「私の哲学もあるし、与那国島の将来を考えたときは自衛隊(配備)ではないだろうと、(台湾との交流を打ち出した)ビジョンというのがあるのだから。そういう思いで、一緒に行動して。与党だろうが何だろうが、ダメなものはダメという声を届ける作業をした」

のちに南城市長も務めた瑞慶覧長敏氏。2009年の総選挙で初当選し、沖縄選出の民主党議員として活動していました。自衛隊配備に反対する地元の議員や住民とともに、防衛大臣政務官に申し入れたときの経緯を鮮明に語ります。

瑞慶覧氏「『予算を付けるな』『与那国島の自衛隊配備の予算を』と言いに行った。神風さん(防衛大臣政務官・当時)のところに」「そうしたら神風さんはカンカンですよ。『与党議員は予算を獲得するのが仕事じゃないですか』と『市民の声を政権に届けるのが、私の仕事じゃないですか』とそこでバチバチになって終わった」

瑞慶覧氏はいま「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」の共同代表として、来月の県民大会に向けて、準備を進めています。

瑞慶覧氏「自衛隊配備まではよかったけれど、ミサイルまでとなったら、攻撃されて逃げるところがないという声が上がってきている」「沖縄だけでそういう声を上げて、自衛隊・ミサイル配備を止められるかと言えば難しい。国民が議論しなければ」

一方、防衛大臣として、自衛隊配備を進める立場だった北沢氏。警戒監視を意図していた先島地域の自衛隊配備が、対中国を念頭にした攻撃拠点に変容しつつある現状に、警鐘を鳴らします。

沖縄と自衛隊(16)/元防衛大臣に聞く「南西シフト」の源流/当初の意図と現状のかい離は?

北沢氏「ロシアとウクライナが紛争をして、ウクライナが西側諸国の援助を得ている。こういう時、台湾有事は日本の有事に直結するという理論で、防衛装備の強化を図る。悪乗りしてやっている議論だ」「せいぜい、私が(大臣を)やった当時の与那国の警戒監視くらいまでは、許されるけれども、それ以上の攻撃的な軍備をあそこに置くのは、外交上もやるべきではない」

民主党政権下で立場は違えど、与那国島の自衛隊配備に関わっていた2人。当時からは意味合いが変わってきた先島の自衛隊の現状に、共に危機感を募らせています。ここからは塚崎記者です。北沢元防衛大臣は、今の先島の自衛隊の姿が、配備を決めた当時の意図とは異なっていると、指摘していました。改めて、どういうことなのでしょうか。

北沢氏らが大臣時代に決めた計画に沿って、政府が与那国島の自衛隊配備が正式に決めたのは、20119月年でした。防衛省は当時、与那国島に自衛隊を配備する意図を、「航空機や艦船の兆候を早期に探知する」としていました。その後、与那国島の自衛隊部隊は、電子戦部隊のほか、対空ミサイル部隊の配備計画も浮上しました。

北沢氏は取材に、先島へのミサイル配備について在任時には「議論されてなかった」と語っていました。与那国島の自衛隊増強の経緯は、一度、自衛隊を配備されてしまえば、当初の計画になかったことも「後付け」の形で付与されて、どんどんと、軍備が強化されてしまう事例と言えると思います。なぜ、そのようなことになってしまっているのでしょうか。   

それを考えるキーワードがこちらです。「国防は国の専権事項」特に、基地設置などの方針が正式決定したり、基地が実際にできてしまった後は、人々の関心が薄れることもあり、首長などがこの言葉を多用し、政府が進める軍備強化を追認する方向に動いてしまうことがあります。

今月、自衛隊とアメリカ軍が行う演習、レゾリュート・ドラゴンでも、民間空港を含めて、与那国島や石垣島で、訓練を展開しています。そうした動きを少しでも押しとどめるには、瑞慶覧元衆院議員のインタビューでも出ていましたが、生活に隣り合わせの軍事活動への疑問や指摘について、政策決定者に届ける取り組みが必要だと思います。

ここまでは塚崎記者でした。