※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

77年前の沖縄戦で亡くなったアメリカ兵の遺族が、先週、沖縄の地を訪れました。なぜ、彼が沖縄へと足を運んだのか。そこには、糸満の地下壕から発見されたある「遺品」が大きく関わっていました。

沖縄戦で叔父を亡くした ラリー・パレノさん(61)「アメリカ政府に叔父さんの遺骨調査をするよう働きかけ始めたのが16年前でしたが、彼らは「調査する」とだけ言って、この場所を訪れることはありませんでした。結局、遺骨の調査をしてくれたのはどこだったかと言うと、それは日本のNPOの人たちだったのです」

今月6日、糸満市束里にある旧日本軍の野戦病院壕だったと言われている地下壕から海兵隊員の認識票が見つかりました。認識票とは、兵士が身元を示すために身に付ける2枚1組の金属製のプレートで、ドッグタグと呼ばれているものです。

認識票には「ジョン・クイン」の文字が刻まれており、NPOの「空援隊」のメンバーらが遺骨収集の作業を行っている最中に見つけました。

NPO空援隊 倉田宇山さん「今までに見つかった遺骨の中で、ラリーさんの(叔父さんの)ドッグタグの出た周辺を掘った時に出てきた遺骨です。まだ分析してしていかないと分からないです。あくまでも(ジョン・クインさんの遺骨)可能性(がある)」

地下壕から米兵認識票見つかり遺族が沖縄に

空援隊では、ラリーさんなどからの情報提供でこの地下壕でジョン・クインさんが亡くなったことを知り、遺族らの強い要望を受けて、遺骨収集を行うことに決めました。そして、先週の土曜日、認識票が見つかったとの連絡を受けたラリーさんが、遠く離れたアメリカから沖縄へとやってきたのです。

長年にわたって探し続けてきた叔父、ジョン・クインさんの生きた証を手にしたラリーさん。思いがこみ上げ、言葉になりません。

沖縄戦で叔父を亡くした ラリー・パレノさん「まだ、ここで見つかった遺骨が叔父さんのものか分かりませんが、それがかなう日が近づいてきていると思います。故郷に連れて帰り、家族と同じお墓で眠らせてあげたいです」

その2日後、ラリーさんは平和の礎を訪れました。そこには、認識票に記された名前と同じ文字が刻まれています。沖縄戦で叔父を亡くした ラリー・パレノさん「戦争はとても恐ろしいです。戦争が無い平和を心から願っています」

認識票が見つかった周辺で収集された遺骨は、戦没者遺骨収集情報センターへと預けられています。今後、日本の厚生労働省、もしくはアメリカ政府による鑑定が進められることをラリーさんは望んでいます。

沖縄戦で叔父を亡くした ラリー・パレノさん「叔父さんは亡くなった当時、まだ若い青年でした。彼は国のために戦って帰ることの出来ない状態でいます。彼が帰ることが出来るのであれば、そのすべてがなされるべきで、きょう私がここにいる理由がまさにそれです」

およそ20万人が犠牲となった沖縄戦から77年。今も家族のもとへ帰れず、沖縄の土の中で眠る遺骨に、国境はありません。1日でも早く、1人でも多くの遺骨が家族のもとへと帰ることが望まれます。