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住民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦から戦後77年が経過し、戦場を生き抜いてきた体験者も少なくなっていて、記憶の継承が課題となっています。

戦争を知らない世代が多くなっている中で、2度と同じ歴史を繰り返さないために、私たちができる平和の守り方を考えます。

住民が巻き込まれた国内唯一の地上戦と言われる「沖縄戦」は、わずか3カ月の戦闘の間に軍民あわせて20万人あまりの尊い命が犠牲になりました。

そんな熾烈な戦闘を経験した人がいます。恩納村に住む、上原米子さん。今年で96歳です。77年前、県立第三高等女学校に通っていた上原さんは、なごらん学徒として、本島北部の本部半島「八重岳」を陣地とする日本軍部隊に従軍し、野戦病院で働くことになりました。

戦後77年 沖縄戦を考える

上原米子さん「電気も何もない山の中だから、ローソクでね、軍医の手元照らして。切断しよったんですよ。これが野戦病院ですからね、仕方ないですよ、もうほんと怖かったですよ。足をね、切断。膝から切るんですけどね、一言も痛いと言わなかったですよ。切り落としたからね、”ああ、やっと軽くなった”って。もうあれにはねびっくりしたんですよ。」

上原さんは、八重岳の野戦病院から避難する時に、爆撃に巻き込まれ、飛んできた鉄の破片が右足の親指から小指まで貫通する大けがをしました。何度も死に直面するなか、生き残る見込みがない人を見捨てるという10代の少女には耐えきれないほどつらい経験もあったといいます。

上原米子さん「いつまでもいたら、みんなやられるから、今晩、こっちから撤退するから。歩けない患者さんは1カ所に集めて。乾パンと手りゅう弾。1個ずつ枕元に配っていきなさいと言われて、私たちはこれ配っていたんです。歩ける患者だけ連れて逃げたんです」

上原米子さん「戦争っていうのはね、もう二度と体験したくない。体験させたくない、子どもたちには」

戦争体験者の思いを受け取り、語り継ぐ一人の若い女性がいます。

戦後77年 沖縄戦を考える

狩俣日姫さん「みんなに覚えていてほしいのは、もちろんここもそうだし、そういったみんなが見ている景色とは全く違う時代が沖縄にあった」

狩俣日姫さん、24歳です。狩俣さんは修学旅行生に平和学習を行う教育ベンチャー企業に就職し、培った経験を生かして、現在はフリーランスで、県内外に沖縄戦を伝える活動をしています。

沖縄戦の体験者が語る「くり返さないでほしい」という思いを受け取るとともに、自分自身が、沖縄戦に関心が持てなかったという経験から平和学習のあり方と向き合うようになりました。

狩俣日姫さん「どうやったらこの子たち参加してもらえるかなみたいなところで」

南風原中学校で行われた「平和学習」では、1年生およそ260人が参加しました。

狩俣日姫さん「10月です。なんだか最近よく、空の上で飛行機?航空機が飛んでいる気がします。友軍の訓練の飛行機なのか、それとも米軍の偵察機なのか。これ3つ用意しました」

「自分が77年前沖縄にいたら、どの選択をするのか」当時の子どもたちが迫られた生きるための選択と同じ選択肢を投げかけることで戦中と自分とを重ね合わせる追体験をします。

男子生徒「北部のほうはいいよ」

男子生徒「北部さ、でも南部はダメじゃん」

男子生徒「南部は絶対ダメど」

男子生徒「残ろう、残ろう」

男子生徒「南部は無理」

戦後77年 沖縄戦を考える

狩俣日姫さん「今はみんな戦争いやとか平和がいいって思ってるかもしれないんだけど、それがある日突然、突然変わるっていうわけではなくて、徐々に徐々にそういうのを話さない環境が出来て、そこからまた価値観だったり、考え方が変わるような社会(戦争への)動きになっていく。この社会の変わっていく流れっていうのが今起こってないか、これから先起こるとしたらどういうことが起こるかってことを考えてもらうってところを意識しています。」

生徒たちの関心をひきつけるためゲーム方式を取り入れています。それぞれの選択肢に結果が用意されていて、戦火を逃れられた人だけが次の選択肢を選ぶことができます。

狩俣日姫さん「1944年の10月こんなことがありました。10・10空襲、皆さん知ってますか?」

10・10空襲は沖縄戦の前哨戦と言われ、特に那覇市は集中的な攻撃を受けたことで、およそ90%が焼け野原と化しました。沖縄戦の出来事について、解説を加えることで、当時の悲惨な実情を理解しやすいように工夫が凝らされています。

平和学習を受けた生徒「クイズもやれて、楽しく考えきれたのでよかったです。沖縄戦やって、本当にこれ以上戦争やったらだめだから、自分たちが大人になった時代でそういうことがないようにしていきたい」

平和を継承する若い語り部の狩俣さんは、これからも、体験者の方たちの思いに向き合っていきたいと話します。

戦後77年 沖縄戦を考える

狩俣日姫さん「これから体験者の方たちがいなくなるし、直接話は聞けなくなるかもしれないんですけど。橋渡し的な形でできるのかなと思うので、そういったところをこれからも頑張りたいと思います」

戦後77年、沖縄戦の記憶の風化が課題になる今こそ、「戦争のない平和な沖縄」を守り続けるためにも、戦争を知らない世代が自分のこととして実感できるよう学ぶ姿勢を止めないことが重要です。