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シリーズでお送りしている復帰50の物語、今回は、先日71年の歴史に幕を下ろした牧志公設市場の衣料部・雑貨部が舞台です。

きゆな呉服店・比嘉園子さん「継続は力なりというけれど、継続しても継続できない状況に追い込まれたね。それが世の中だね、時代が変わってしまった」

戦後の混乱期に誕生した、那覇のマチグヮー。沖縄中に生活物資を提供する拠点として発展してきた市場は、時代ごとの人々のニーズをうつす鏡です。

「きもの市場」とも呼ばれた牧志公設市場の「衣料部」。お祝いや行事の際には、生地や小物を選び、晴れ着を仕立ててもらうのが、定番だった時代もありました。しかし、復帰50年の今年、その役目を静かに終えることとなりました。

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

大城もちや・大城嘉代子さん「姑は10年ぐらいかな。11年やって、そのあとに私が16年、その前にこっちでやっていたおばあちゃんがいて。このスタイルは戦後ちょっとしてから」

きゆな呉服店・比嘉園子さん「母は教職にいたんですけどね、辞めて、で戦後でしょ、父が戦死ですからね。私の時よりは、母の場合は、みなさん、ここね、始めた方々は大変だったと思う」

母から子、孫の代へと紡いだ71年。マチグヮーの記憶の断片に触れました。

市場閉場の4日前、朝からギターの音色が響いていました。今回、廃業を決めたおもち屋さんへ、常連客からの粋な贈り物です。

常連客「長いお付き合いなので、お世話になってありがとうっていう気持ちをもって家からもってきました」

大城もちや・大城嘉代子さん「いつも歩いていて、あいさつするだけのお客さんなんだけど、初めてですよ、ギターを」

那覇市の平和通りにある牧志公設市場の「衣料部・雑貨部」は、1951年に開設されました。

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

内嶺呉服店・内嶺富子さん「毛布だとかね、子供たちの洋服とかね。何でも売れたっていう感じ。戦争でみんな焼き払ってないさ」

呉服店の2代目、内嶺富子さんです。内嶺さんの母は、戦後間もない頃に店を構え、着物の仕入れのために、京都に通いました。

内嶺呉服店・内嶺富子さん「京都の方で仕入れて、L/C(貿易取引の信用状)とか組んでやっていたんです。ドルだからお金切り替えて、円に切り替えして、品物を買ってきて。パスポート持ってね。飛行機もないから、鹿児島まで船で行って、汽車で京都まで行って。それくらいものがなくて、仕入れて売れたんですよ、このマチ」

1972年の本土復帰のタイミングで、扱う品物を呉服に切り替えた人もいます。比嘉園子さんです。

きゆな呉服店・比嘉園子さん「この市場全体が呉服市場になったから、変わった品物置いては売れないわけ。高度成長の時代でしょ、すべてが真新しく見えるし」

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

衣料部は、40年前の1982年に現在の建物に改築されました。全盛期は、100を超える事業者の売り場が並んでいたそうです。

きゆな呉服店・比嘉園子さん「この一列に25店舗入っていましたよ。20人あまり、考えられる?本当にね、両手広げて、これだけが、一人の小間。それでね、まぁ見事、だからね、どうするかって言ったら上に積むよりほかないじゃないですか、積んでね、そこから飛び越えて入るよりほかないわけさ。中に」

比嘉さんの母は、戦死した夫にかわって、一家の大黒柱として、市場で必死に働き、娘を東京の洋裁学校に通わせました。仕送りとして、比嘉さんのもとに届いたのは、お金ではなくコーヒーやお菓子でした。

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

きゆな呉服店・比嘉園子さん「母が私、東京まで行かせてくれたからね、大変でしたよ。毎月じゃないけど、ときたま、25ドル、キラクでさ、我々の年代は皆さんやってる、ネスカフェとかチューインガムとか色んなの商品を送るの、それ持って上野の御徒町へ行くわけさ。売りによ。25ドル分売れたら、30ドルなってきよったからね。学資するためよ、1カ月の学資をするためだからね、もう1本でもね、減ったら大変というのがあるわけなのよ」

戦後の混乱の中に立ち上がり、沖縄中に生活物資を提供する拠点として発展してきた牧志公設市場「衣料部・雑貨部」。

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

城間幹子・那覇市長「当市場がマチグワァーの発展に寄与し、地域に親しまれてこられましたのも、皆様のありがたいお力添えが、がんばりがあったからだと、改めて感謝を申し上げます。71年間本当にありがとうございました」

高度経済成長期においては、晴れ着や小物を選ぶ人々で賑わい、復帰後は、本土資本進出のあおりを受けつつも、昔ながらのマチグヮーのかたちを今に残してきました。

母から子、孫の代へと受け継いできた商いは、まちの景色として定着し、沖縄の文化に育ちました。

復帰50の物語 第8話「さようなら、母たちの市場」

内嶺さんは、水上店舗の小さな一コマを借りて、着物店を続けることにしました。88歳の再出発です。

内嶺呉服店・内嶺富子さん「新しいお店だから、みなさん覗いてくれるんですよ。その度にとても心配していたのがね、急に安心に変わった感じ。頑張ってみましょうね」

一方、古巣のすぐそば、平和通り沿いに引っ越したのは、比嘉さん。移転してまだ数日ですが、ずっと前から、ここにいるような佇まいです。

きゆな呉服店・比嘉園子さん「この年齢まで、仕事を続けてこれたということにも感謝していますよ。でもこれからもう少し頑張るわね、できる範囲で」