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首里高校に甲子園の小石を届けたCAが来沖

県勢で初めて甲子園に出場した首里高校。当時、沖縄がアメリカ統治下だったために甲子園の土を持ち帰ることができなかったエピソードは沖縄高校野球史において忘れられない出来事として、今も語り継がれています

その土を失った首里ナインのために甲子園の小石を送り届けた日本航空の客室乗務員が、沖縄を訪れました。

県立首里高校の校内にある、甲子園出場の記念碑。その下に友愛の碑として飾られているのが、甲子園の「小石」です。きのう、その記念碑を見るために沖縄を訪れたのが、大阪府在住の多治川玲子さんです。

多治川さん「きょうは楽しみにして来ました」

首里高校に甲子園の小石を届けたCAが来沖

1958年、県勢として初めて夏の甲子園に出場した首里高校。試合後には、記念にと甲子園の土をかき集めました。しかし、沖縄は本土復帰前のアメリカ統治下。植物防疫法によって、その土は「外国の土」とみなされ船の上から、海へと捨てられました。

当時の首里の選手たちも、今もその出来事を忘れることはありません。

首里 1958年2番サード 金城睦俊さん「結局あの時はキャプテンからだったかな、みんな土を出すようにと言われて、言われるがまま出したんですがね結局捨てられた後に法律にかかるということだったと聞きましたよ」

首里高校に甲子園の小石を届けたCAが来沖

そんな土を失った首里ナインのためにと日本航空の客室乗務員・近藤充子さんらが甲子園の小石を贈ることを計画。実際にその小石を沖縄まで届けた一人が、多治川さんでした。

多治川さん「うわぁここに友愛の碑が来てるんだ」

多治川さんが友愛の碑を見るのは沖縄が本土に復帰した数年後に旅行に来て以来2度目。その時と設置場所こそ変わりましたが今も首里高校の大切な記憶として残されています。

多治川さん「こうやってまだ置いておいてくださるなんてうれしいし、懐かしいし、あの頃を思い出しますよね。帰られて船からですか、せっかく持ち帰った記念の砂を、汗の混じった砂をみんな捨てないといけなかったと報道されて日本中が同情してやっぱり悲しかったですよね」(この小石が今も首里高校にあるのはどうですか?)「感慨無量ですね(今後も)こうして友愛の記念として置いてあったらうれしいですよね」

首里高校に甲子園の小石を届けたCAが来沖

首里ナインに甲子園の小石が贈られて64年。たとえ土はなくとも多治川さんらの思いとともに、甲子園出場の記憶は今もしっかりと刻まれています。

多治川さんには後日、首里高校からお礼の「染織物」が贈られていてその織物は現在、県立博物館美術館で展示されていて見ることができます。

このつながりをきっかけに、多治川さんは沖縄に縁を感じていて来年春ごろにもまた沖縄に来たいと話していました。