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ひっそりとたたずむ小さな劇場が、反戦・平和への思いを次世代にどうつなげていくべきか、試行錯誤を続けています。けして簡単ではない課題に向き合い続けている「ひめゆりピースホール」。

劇場の名前に、なぜ「ひめゆり」という名前がつけられているのか、建物の歴史をたどっていくと、仲間の命を奪った戦争の悲劇を繰り返してはいけないという誓いがありました。

那覇市安里の栄町市場。戦後まもなく生まれたこの場所に、ひめゆりピースホールと名づけられた小さな劇場があります。新型コロナの影響で、去年12月から休館に追い込まれていましたが、今、再始動にむけて、役者たちが稽古に励んでいます。

沖縄戦の伝え方を模索 小さな劇場が届ける平和への思い

城間やよいさん「鉄の暴風の中を、艦砲の雨の中を、夜になってお父は帰ってきたよ、頭の無い死んだかずお兄さんを抱いてね。」

城間やよいさんと知花小百合さん、ふたりが演じるのは『島口説』という舞台です。沖縄戦で兄を、そして戦後の混乱で夫と息子を亡くすなど、苦難を強いられた人々の姿を通して、沖縄が歩んできた苦難の歴史を表現しています。

知花小百合さん「プレッシャーはあるんですけど、ここでやるという意味がすごくある作品ではないか、なって思います」

城間やよいさん「そういう歴史があるって考えるとすごく胃も痛くなるし重たくなるし。あんたうわべだけだよ。わかってるのはって、言われているような気がして。だから、そうやって改めて作品とちゃんと向き合いなさいって、言われているような場所に感じました、ここでご縁あって。」

この場所が、演じる人に特別な思いを抱かせる理由。それは、かつてこの場所がひめゆりの元学徒たちの同窓会館だったからです。

沖縄戦の伝え方を模索 小さな劇場が届ける平和への思い

ゆいレール安里駅に隣接する栄町市場。モザイクのように屋根が連なる中で、頭ひとつ飛び出ているのが、53年前に建てられたひめゆりピースホールです。戦前、栄町市場の一帯は「ひめゆり」の元学徒たちの学び舎でした。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長「校門がここに見えますよね、県道から校門にむかう並木道があって、相思樹が全部植えられていて、相思樹並木ってよくいうんですけど、その写真ですね。」

門の左側には県立第一高等女学校、右側には沖縄師範学校女子部の札が掲げられています。2校が併設されたおよそ8000坪の敷地には、講堂、体育館、寄宿舎、そして当時、沖縄で唯一のプールもありました。

しかし沖縄戦で、生徒222人と教師18人が動員され、そのうち136人が戦場で命を落としました。学び舎もアメリカ軍の爆撃をうけて、全てが焼失。沖縄戦から十数年が過ぎ、「戦後」が本格的に歩み始めた1960年代の終わり頃、戦火で失われてしまった同窓会館が再建されました。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長「戦争でたくさんの学友や先生を失って、ぜひその無念で亡くなった人たちのためにも、平和を訴える活動をしないといけないというのが、戦後の同窓会活動の一つの原点でもあったみたいです。」

沖縄戦の伝え方を模索 小さな劇場が届ける平和への思い

「後世に平和の尊さを伝えたい」というひめゆり同窓会の思いは、「ひめゆり平和祈念資料館」の建設へとつながっていきました。

元学徒たちは、自分たちがいた壕に40年ぶりに入り、遺品や遺骨を拾い集めました。そして、同窓会館に戻ると、遺品の一つ一つの泥をぬぐい取り、棚に整理する作業をコツコツと続けます。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長「例えば、学友の名前が書いた下敷きとか、筆箱とか、万年筆とか、自分たちが40年余りもほったらかしにしていたから、大事な学友たちのものが泥の中に埋もれたままになっていたのだということで、ごめんなさい、ごめんなさい、涙を流しながら拾ったということをおっしゃっていましたね。やっぱこういう経験がですね、泥だらけになった遺品を集めたりする経験が、自分たちが多くの人に資料館の中で、あるいは資料館の外でも戦争体験を伝えていく活動を始めるんですけど、その原動力になったようなんですよ。」

沖縄戦の伝え方を模索 小さな劇場が届ける平和への思い

資料館が開館したあと、心の拠り所であった同窓会館は、2017年に小さな劇場へと姿を変えました。

知花小百合「わったー島どぅや、わったー土地どぅや、わるいのはあいつらアメリカ―だ」

多くの記憶と思い出が詰まった大切な場所は今、平和の発信場所として、新たなスタートを切ったのです。来月上演予定の「島口説」。実は、もともと、5年前に亡くなった名優・北島角子さんの代名詞と言われる舞台で、1979年から7年間演じられてきました。なぜ今、この舞台を上演するのでしょうか。

演出家 藤井ごうさん「これは1979年という設定なんですけど、その前からのお話がされるわけですけど、基本的に何にも変わっていないなというのが、一番強く思ったところで」

演出家の藤井さんは、40年前に、はじめて島口説が上演された時から沖縄の状況は変わっていないと感じています。そうした中で、今の人に、物語をどう感じ取ってもらうのか、伝える側が想像力をめぐらせていくことが大切なんだと考えています。

演出家 藤井ごうさん「体験者がまだギリギリいるときに話を聞けた段階の僕らというのがどういうふうに、こういう物語を、いまの客席とつないでいくのかによって、そのあとのありかたが、また変わっていくと思うので」

城間やよいさん「経験してない私が伝えるためには、やっぱりそういうただの『つらい』『きつい』じゃなくて、やっぱりそういう力強さ、そうやって平和のために一生懸命生きていきた生きざまというか、そういうのをもっと、伝えていかないと、伝えないといけないのか、なと思うんですけど。」

知花小百合さん「言葉ってどんなして伝えたらいいのっていう。本でも開いたら教科書には文字が書かれて、それを読めば自分なりに想像してできる。けれども、私の肉体を借りて相手に伝える大切さと難しさに今、本当に立たされています。」

沖縄戦の教訓や、戦後、沖縄の人々が歩んだ道のりを体験者でない世代が、さらに次の世代にどう伝えていくのか、ひめゆりの元学徒たちの心の拠り所だったこの場所で、自ら問い続ける作業がおこなわれています。