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アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、学童疎開船「対馬丸」が沈没した事件から2025年8月22日で81年です。那覇市では慰霊祭が行われ、生存者らが祈りを捧げました。

学童疎開船「対馬丸」は、太平洋戦争当時の1944年8月22日、沖縄から疎開先の長崎へ向かう途中、鹿児島県悪石島の沖合でアメリカの潜水艦「ボーフィン号」の魚雷攻撃をうけ沈没。乗船していた784人の子どもたちを含む、1484人が犠牲になりました。

対馬丸事件から81年が経った8月22日、那覇市の小桜の塔では慰霊祭が行われ、生存者や遺族など約300人が参列。

対馬丸事件の生存者で対馬丸記念会の代表理事を務める髙良政勝さんは「亡くなられた方の無念を忘れず、戦争の悲惨さと命の大切さを語り継ぐ」と平和への誓いを述べました。

髙良政勝さん「争いのない平和を願い次の世代へと繋げていくことが亡くなられた方々への供養だと思います」

その後、参列者は慰霊碑を前に手を合わせ、犠牲者へ思いを伝えていました。

姉を亡くした山内好子さん「(姉に)長いこと線香あげにこれなかった、ごめんねしか言ってないです」「戦争がなくなればいいのに戦争になればもう大変」

生存者で兄妹を亡くした宜志富紹心さん「向こうから魚雷が来るの喜んでみていた、見ていた子どもだから自分の船がやられることも分からんで」「子どもや孫に話す気がない」「今の子どもたちはね、(話しても)そうか、もう終わり(という反応)何も考える必要はない」

紹心さんの孫宜志富厚哉さん「戦争を学ばないといけない時代なのが自分たち孫世代だと思ってるので」「自分なんかの子どもたちにちゃんと継承していなかいといけないなと思っています」

また、遺族会が求めている対馬丸の水中調査について、内閣府は、今年度内の実施を目指しているということです。