※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

皆さんは普段道路に設置されているマンホールをじっくり見る事ってあまり無いですよね?こちらは那覇市にあるマンホール魚の絵ですね。そしてこちら宮古島にあるマンホールトライアスロンが描かれてます。さらに最西端の与那国島にあるマンホールこちらには与那国馬が描かれているデザインになっています。

県内各地でよく見られるんですが、この程あるデザインのマンホールが完成し話題を集めているそうです。

マンホールに描かれた守礼門。そして在りし日の姿を蘇らせたような正殿きらびやかな首里城が紅型のスタイルでカラフルに描かれています。

これは県が下水道の日に合わせ去年9月「首里城マンホールデザインコンテスト」の最優秀作品なんです。県内外から集まった126作品のなかから選ばれました。

西原町にある沖縄鋳鉄工業。蓋の部分に様々な絵が描かれているデザインマンホールを製造している会社です。

首里城マンホール

1972年の本土復帰を機に、3つの鋳物業者が合併してできた沖縄鋳鉄工業独自の技術と地域の特色を活かしたものづくりが出来ないかと思い40年ほど前、ガーラをデザインしたマンホールを日本で初めて生み出しました。今では至る所で見られるようになったデザインマンホール。実は沖縄が発祥の地なんです。

社長「結構熟練していくとコンマ一ミリの単位まで切り込むことが出来ます。1ずつ穴をあけてドリルで糸ノコを通して一つずつ地道に切り抜いていくんです」

デザインマンホールの中核を成す「形づくり」作業場では職人たちが昔から受け継がれた手作業でアルミ板を切り取っていきますミリ単位で切り取る作業はまさに職人技です。

デザインマンホールの生みの親とも言えるのが神山寛盛(かんせい)さんです。90歳近くで引退しましたが、これまで200種類以上を手掛け2003年に国から卓越した技能が認められた人に与えられる「現代の名工」にも選ばれました。

神山さんが編み出した技術で今も様々な模様のマンホールがつくり出されていますデザインマンホールが出来上がるまでの工程はというと・・・

首里城マンホール

まず建設現場などから集めた古鉄などを1500℃の炉で溶かしていきます。これが原材料になります。マグマのように溶けた鉄を鋳型(いがた)に注ぎ込んだ後2時間かけてゆっくりと冷やしていきます。その後、側面の仕上げと塗装を終えたら完成です。

沖縄の文化や風習を伝え芸術の域にまで達した県産のマンホール。鋳鉄工業は今も県内のデザインマンホール製造の90%を手掛けていますが、去年の年末、県からある受注が舞い込んできます。

広い一室でパソコンに向かっているのはグラフィックデザイナーの川平勝也さん。実は新型コロナの感染防止対策をテーマにしたポスターが世界最大級のグラフィックデザインのコンテストで選ばれるなど輝かしい成績を残している人なんです。そんな川平さん去年9月に県が開催した「首里城マンホールデザインコンテスト」で最優秀賞を受賞しました。

首里城マンホール

川平さん「火災で焼失したということで何かグラフィックデザイナーとしてお役に立てる事は出来ないか常々考えていた。沖縄らしいカラフルなデザインが出来ないか?」

世界に誇る首里城を沖縄らしい紅型スタイルでインスタ映えするカラフルなデザインを表現したところがポイントです。

川平さん「より多くの人が見るきっかけになるのではないか。首里城復興のPRのお役に立てるのではないかと」

納期まで1週間を切ったこの日沖縄鋳鉄工業では県から依頼を受けた首里城マンホールが8割ほど完成し仕上げの段階に入っていました

7種類の色を用いてカラーマンホールとして制作ハイビスカス守礼の門首里城ひとつずつ丁寧に色を流し込みます

首里城マンホール

金城清彦さん「こういった長い所は呼吸を一回止めて集中してやらないと呼吸しながらやるとぶれてしまうのでそれが無いように(Q.これ間違ったらどうなるんですか?)間違って大きくミスした時にはちょっとヤバイですね。あっ!!(金城さんミスする)」

少し色付けの場所を間違えたもののベテランの技で素早く修正きらびやかな首里城のマンホールが完成しました。

1ヵ月かけ出来上がったマンホール実際のマンホールとして多くの人が行き交うパレット前に設置されました。お披露目にも時間は掛かりましたがやっとこの日を迎えることができました。

川平さん「首里城が復興していただいて完成した姿が見れればうれしいですね」

首里城復興へ向け設置された新たなモニュメントが沖縄県の中心部で県民や観光客を魅了しています。