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きょう11月3日は、語呂合わせでいいお産の日です。早産や先天性の病気を持つ赤ちゃんの治療やケアにあたる新生児集中治療室を取材すると、コロナの影響で、ギリギリのなか踏ん張る現場や家族の姿が見えてきました。

幾つものチューブがつなげられた保育器。ここは、新生児集中治療室・NICU。早産で生まれた赤ちゃんや、先天性の心疾患などのある赤ちゃんに、専門的な治療をおこなう場所です。

コロナと闘う 早産児を守る現場で

新型コロナは、NICUの現場にも影響を与えていました。南風原町の県立南部医療センター・こども医療センター。この病院のNICUには、県内各地から命の危険性が高い赤ちゃんが搬送されてきます。その半数が早産で小さく生まれた赤ちゃんです。

先月上旬、フロアは朝から慌ただしい雰囲気に包まれていました。看護師がベッドや機械を移動させています。

新生児内科・大城達夫部長「これから双子が生まれるので、それも低出生体重児。けっこう大変です。コロナの対応でとれない病院があるために、こっちにくることが多いっていうのもあるんでしょうけど、入院数が去年に比べると1.5倍ぐらいの入院数になっていて、超手出生体重児、1000g未満のお子さんも、去年一番多かったんですけど、今年は9ヶ月でほぼそれに並んでいますので。」

18床のNICUは、このところ満床で空きがありません。こども医療センターでは、NICUが満床で押し出されるために、重症な赤ちゃんをGCUとよばれる回復治療室でみなければならない状況が続いていました。

當間紀子看護師長「常に満床なので、玉突き状況で移動しながら、入院を受けるっていう状況が続いています。ずっと。」

この状態が現場の負担を大きくしていました。というのも、GCUでは、看護師1人でNICUの2倍にあたる、6人の赤ちゃんを受け持つためです。

コロナと闘う 早産児を守る現場で

新生児内科・大城達夫部長「重症が多くて、呼吸器を見れる場所じゃないところで、今みている状態で、みれるナースがやっぱり限られているので、その人たちがひとりでも倒れると、おそらく崩壊してしまう。綱渡りを超えた綱渡りですね。」

双子の第1子が運ばれてきました。1000gにも満たない赤ちゃん。第2子を受け入れる準備をしている間に、また受入れ要請が。もう余裕はありません。

新生児内科・大城達夫部長「24週(の早産児は)那覇市立病院に送った。34週は沖縄赤十字病院に送った。次依頼がきたら、こっちしかない。」

現場に緊張感が走ります。早産でうまれた赤ちゃんは皮膚が未熟なため、保育器がお母さんのお腹の代わりとなって全身を守ってくれます。呼吸機能が未熟な赤ちゃんには、人工呼吸器も。わずかな対応の遅れが、命を左右することもあります。

コロナと闘う 早産児を守る現場で

慢性的な人手不足が続く中、コロナが、さらに現場と家族を圧迫していました。

當間紀子看護師長「ここに持ち込んでしまうと、やっぱり弱いお子さんを守れなくなってしまうので、本当にそこは、みんなで守っていくというか、子どもたちを支えていくというか、私たち働くスタッフも本当に自粛生活ですよね。買い物も厳重にして、買い物も行くし。スタッフもモチベーションが下がったりしないかというのは、すごく懸念しています。心臓の手術が必要なお子さんであれば、ここでしかできませんので、なにがあっても24時間365日受ける体制でいます。」

県立南部医療センター・こども医療センターのNICUでは、新型コロナの影響で、開所以来はじめて、面会を制限しました。24時間対応していた面会を、8月は全面禁止。9月は母親限定で1日1時間。さらに先月中旬からは、30分に制限しています。

清水さん「いま、おっぱい、ミルクあげて、ちょうど眠ったところです。抱っこして、肌をふれて、あとおむつ替えとかおっぱいとか、やっぱりできるだけあげたいので。」

清水さんの息子、煌心(こうしん)君は、1000g以下で生まれ、5か月入院しています。

コロナと闘う 早産児を守る現場で

清水さん「とっても苦しくて、毎日考えるばかりで、搾乳しておっぱいをもってこないといけないんですけど、おっぱいっだけ持ってきて、本人とは会えないとかという形になると、毎日苦しかったですね。」

妊娠24週で娘のかなさちゃんを出産した金村さん。退院した翌日に面会が制限されました。

金村さん「大きくなってくれるのかどうか、生きてくれるのかどうかもわからなかったので、毎日不安で、ずっと大丈夫かなって、毎日考えていました。」

不安な日々を支えてくれたのが、看護師の存在だといいます。

コロナと闘う 早産児を守る現場で

金村さん「看護師さんからこういう風に写真つきのお手紙もらったりとか、忙しいのに。こういったことがすごく嬉しかったです。」

NICUの看護師は、コロナの前から、家族あてに成長日記やメッセージカードを作成していました。こうした心遣いが、家族にとって、赤ちゃんと会えないコロナ禍を乗り越える力になったのです。

知念敦子副師長「離れている分、今1時間しか会えていないので、私は色んな表情をみるチャンスが、私たちのほうが逆にあるので、お母さんたちにそのチャンスを埋めてあげたいなという思いもあります。」

退院にむけて準備をすすめている家族に出会いました。退院後の生活をサポートするのもNICUの看護師の役目です。

コロナ禍の出産から3か月。陽和子ちゃんは、はじめて外の空気に触れました。

自宅で、陽和子ちゃんを迎えたのは、在宅ケアを担当するチーム。地元の救急隊員の姿もありました。様々な職種と協力して合って家族が、自宅で育児をすすめていけるように支えます。

當間紀子看護師長「緊急時にどうするかとかっていうのをここで打合せしてもらったりするので、本当に、退院のときはこんな感じ。」

コロナと闘う 早産児を守る現場で

陽和子ちゃんの母「いろんな人に支えてもらって、今日が、きたんだよね本当に。」

陽和子ちゃんの父「ただ、ここで満足はしてないので、スタートラインなんで。呼吸器が外れたらいいなと。」

不安と期待を抱えながらの新生活。家族の歩みを見守っていきたいという志が、コロナ禍で厳しい状況にあるNICUを、ギリギリのところで支えています。

こども医療センターのNICUでは現在でも面会が制限された状況です。出産後、容体の安定しないわが子と離れ離れの状況が続くのは、親にとって精神的な負担大きく、看護師など医療従事者の果たす役割が大きくなっています。

その一方で、NICUを守る医療従事者たちは、機能が止まることがないよう、自粛生活が続いていて、働く人のストレスも大きくなっている現状もあります。