※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

沖縄戦から75年。当時の記憶や記録を次の世代に継承してほしいと6月26日城間那覇市長が第32軍司令部壕の保存や公開を求め県に要請しました。

第32軍司令部壕は沖縄戦当時、首里城の地下にあった旧日本軍の司令部壕跡です。75年前の5月27日、アメリカ軍の攻撃に耐えきれず司令部は壕を爆破し県民が避難する南部へ撤退したことでその後、多くの県民が戦火に巻き込まれていきました。

城間那覇市長「沖縄戦の実相を現代に示す貴重な戦跡であり平和の尊さを次の世代へ語り伝え、命の尊さを重んじ恒久平和への思いを育む平和教育に欠かせない場所だと考えてます」

城間市長は県が策定した「首里城復興基本方針」で司令部壕の保存や公開に向けた整備を要請し司令部壕内に残っているとみられる遺骨について国が責任を持って収集するよう知事に働きかけを求めました。

これに対し玉城知事は県としは今年度中に新たな検討委員会を設置するとしたうえで保存公開については「那覇市と一緒に検討したい」と応えていました。

那覇市が県に32軍司令部壕の保存・公開を要請