ベトナム企画、2回目のきょうは、枯れ葉剤被害者と彼らを支える人たちの姿を追いました。

ベトナム戦争の前線基地だった沖縄。爆撃機が飛んで行った向こうの国で今も続く現実に、私たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか。

Q+リポート ベトナム特集(2) 枯れ葉剤被害者 支援する人々

ダナン市枯れ葉剤被害者協会、通称ダバ。たくさんの子どもたちが私たちを歓迎してくれました。

この日はベトナムの旧正月・テトを前に、支援物資の支給式が行われ、子どもたちの笑顔が溢れていました。

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いまは観光地として賑わうダナン。ここは1965年、沖縄のアメリカ海兵隊が最初に上陸した場所です。そして化学兵器・枯れ葉剤のおびただしい被害を受けた地域でもあります。

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ダバの代表を務めるグエン・ティ・ヒエンさんは被害者たちの生活を支えています。

ダナン市枯れ葉剤被害者協会 グエン・ティ・ヒエン会長「ダナンで5000人の被害者がいて、そのうち1400人が子ども、こちらの施設には150人が通ってきています」

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私たちはダバが長年支援してきた親子の家を訪ねました。遺影の中でほほ笑むのはチャン・ギアさん。実は私たちは2年前、ギアさんを取材していました。生まれたときから体が不自由だったギアさん。およそ半年前、痛みに苦しみながら43年の人生を終えました。

ギアさんの母・ホアン・ティ・テーさん「亡くなる直前は、話すことも、食べることもできず、痛みも言えなくなっていました」

ギアさんの症状は成長と共に悪化していきましたが、それでも、いつか歩けるようになりたいと、亡くなる直前までダバでリハビリを続けていました。

ホアン・ティ・テーさん「ずっと私を責めていました。友だちは健康なのに、なぜ、僕は生まれつき病気なのかと。ずっとずっと、病気を治したいと言っていました」

グエン・ティ・ヒエンさん「ギアさんは亡くなる直前、2週間リハビリに通っていましたが、体が弱って亡くなりました。枯れ葉剤被害者は風前の灯火、いつ命の火が消えてしまうかわからないのです」

ダバの案内である家族を訪ねました。玄関で出迎えてくれたのはタン・チーさん。

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タン・チーさん「(Q:何歳ですか?)3歳」

そして弟のハオさん。双子のように見えますが、兄は27歳、弟は16歳です。

兄弟の父・タン・ドンさん「こうしていると仲良しに見えますけど、よくケンカをするんですよ」

2人の可愛い息子たちがなぜ重い障害を抱えることになったのか。お父さんはかつてベトナムとカンボジアの戦場で白い霧の雨を浴びたのだと言います。戻ってきたふるさとも酷い状態でした。

タン・ドンさん「この辺りは枯れ葉剤がまかれた地域なんです。ここから1キロ離れている所まで、たくさん撒かれました」

そんな家族の生活をダバは様々な形で支えています。

ダナン市枯れ葉剤被害者協会 ファン・タン・ティエン副会長「この家族には牛一頭、ニワトリ50羽を支給しました。自立できるように支援しました」

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これはダバから送られた車いす。冬場に冷たい床の上をはって移動させるのはかわいそうだと、ダバのスタッフたちが手作りしたものです。

こちらはバリアフリーのトイレです。これが整備されたことで兄弟は自分でトイレに行けるようになりました。

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ファン・タン・ティエン副会長「寄付金で枯れ葉剤被害者たちの支援をしています。でもそれだけに頼ってはいけないので、家族が自立できるような支援をしているのです」

お父さんはダバから支給された1頭の牛を5頭に繁殖させ、50羽のニワトリを150羽に増やしました。

家族を養っていくために、朝から晩まで働いています。

戦争が終わっても汚染された土地では被害の連鎖が続いています。

グエン・ティ・ヒエン会長「枯れ葉剤の被害は子や孫まで、3世代続いているんです」

遠ざかっていくベトナム戦争の記憶。その一方で、子どもたちの現実の姿は戦争が過去のことではないと突きつけていました。

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