きょうは、沖縄で初めての落語家となった読谷村出身の「立川笑二」さんを紹介します。

落語家になるには師匠を探し弟子入り。「前座見習い」、「前座」、「二つ目」、「真打」とわかれており、「二つ目」からが落語家と名乗れます。

二つ目まで10年かかったという人もいる中、笑二さんは、ことし6月、3年で二つ目に昇進。今は「驚異の二つ目」と呼ばれています。笑二さんに、落語にかける思いをききました。

笑二さん「最後にこのはおりじも結んで完了。結ぶといつも、これから落語をやるぞみたいな気持ちになります。」

笑二さん「こんな大きないもを一人でみんな食べてしまったので、おばあさんは大きなおならをいっぱつ。ぶーっとやってしまいました。このおならの音があまりにも大きくて、山で働いているおじいさんにも聞こえました。おじいさん芝を刈らずに臭かった。」

笑二さん「天職かもしれない。落語。そこに無理をしてやっているわけではないので、自分がやった分だけ評価してもらえる気がして。ものすごく、ただただ楽しい。」

立川笑二。本名、知花弘之さんは、1990年の読谷村生まれ。小さいころから、人見知りだったといいます。

笑二さん「学校生活はおとなしく送っていたので、友達からすると、普段おとなしい人はいきなり文化祭とかになって漫才やるって変なギャップじゃないですけど、あれ?そんなにしゃべったりするんだみたいなことを言われたり。」

笑二さんは、高校卒業後同級生と大阪で、お笑い修行を始めるも、3週間でコンビ解消。想定外にピン芸人への道を歩み始めましたが、わずか1年でお笑い番組にも出演するようになり出だしは好調のように見えました。

しかし、高校時代から好きでよく聞いていた落語をしたいと思いが膨らみ、2011年春に上京。知性派落語家で知られる立川談笑師匠に入門しました。

師匠や楽屋の雑用が前座仕事の大半とされる中、笑二さんを待っていたのは、型破りな育成方針でした。

笑二さん「(談笑師匠は)君たちに売れてもらいたいんだ。俺の雑用しに入ってきたんじゃないでしょ。君たちは君たちで自分の落語がよくなるように、稽古するなりネタ考えるなりという時間を使いなさい。おもしろくなかったらやめてもらう。」

笑二さんは、思いもしなかった方針に戸惑いつつも、多いときで10時間の稽古を重ね、楽屋仕事は上達しないまま、「うまくて面白いスーパー前座」と評判になりました。そして、ことし、入門から3年で二つ目に昇進し、晴れて落語家となりました。

笑二さん「両親はとても喜んでくれました。なかなかどうにもならないだろうと思っていたらしいので、こうやって昇進ができた。偶然にも沖縄初っていうのも頭についたので。」

笑二さん「これ、立川流の左三蓋松っていうんです。この紋をつけた着物を着られるのも、ひとつ昇進して嬉しいことの一つです。」

ですが、手放しで喜んでばかりもいられません。

笑二さん「この先5年くらいかけて師匠が私をみて才能があるかどうかを判断する時期にはいってくる。逆にそこで師匠に認めてもらえたらずっと落語家としていきていけるんじゃないか。」

現在高座で話す演目は50席ほどで、そのうち一席が沖縄風にアレンジされています。笑二さんは、今後沖縄落語をつくり、広く沖縄の文化や歴史を知ってもらいたいと意欲を見せます。

笑二さん「沖縄の歴史もたぶん落語になるんですよね。沖縄にたまたま落語家がいなかったので、そのあたりを整理する話術、話芸というのはたぶんないと思う。そのあたりを掘っていったら、たぶん沖縄の歴史として面白い落語ができるんじゃないかな。」

笑二さん「天職かもしれない。落語。そこに無理をしてやっているわけではないので、自分がやった分だけ評価してもらえる気がして。ものすごく、ただただ楽しい。」

「自分がどこまでいけるのか知るのが楽しみ」と話す笑二さん。「スーパー前座」から「驚異の二つ目」へ昇進し3か月。きょうも、沖縄への思いを胸に、前に進んでいきます。