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宮城県南三陸町でボランティア活動にたずさわった県内の若者たちが、被災地支援のためあらたなシステム作りに取り組んでいます。

東日本大震災から一か月、実際に被災地を見た若者たちが考案したシステムとはいったいどういうものなのでしょうか。比嘉記者です。

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薗田さん「震災直後に地元の土建屋さんとかが頑張って、避難所へはなんとかルートを確保しようということで道を広げたので、避難所までの道はあった」

ダイビングショップを経営する薗田大典さんは、地震発生の翌日12日に被災地へと向かい、宮城県南三陸町に入りました。2週間のボランティア活動からいったん沖縄に戻り、被災地の様子を知ってもらおうと急きょ開いた報告会。

薗田さん「どこが道でどこが家なのかもわからない状態。山の中腹あたりに船があったり、病院の中に車が突っ込んだり。もう本当にありえない状況でした」

宮城県南三陸町は地震直後に津波が押し寄せ、壊滅的な被害を受けました。ニュースの画面ではわからない、一面に広がるガレキの光景に、薗田さんは大きな衝撃を受けたといいます。

薗田さん「南三陸に入るとスコーンと海まで見えちゃくくらい何もない。町に入った瞬間。なので規模というところで驚きました。津波にあった場所の規模」

南三陸に入った薗田さんは住民に話しかけ、出来ることを懸命に探しました。水汲みや暖をとるための薪拾い。用意していった車を使って薬を集めて届けたり、簡易の風呂を作ったりもしました。震災直後、多くの人が家族を失ったり連絡も取れない状態が続いていた南三陸町では、ボランティアを仕切ったり仕事の指示をする人など当然いませんでした。

薗田さん「そういう精神状態で皆さん動いてる中で、誰がボランティアにきれいに割り振って仕事配分ってまず無理じゃないですか。であれば自分で考えて自分で『何が役に立つんだろう』ってことをやるしか状況」

活動を続けるうちに、地域の人々とも親しく言葉を交わすようになった薗田さんには、ひとつ気になることがありました。続々と届き続け、山のように積み上げられている毛布などの支援物資。

薗田さん「最初は皆さん『本当にありがたいありがたい』って言ってるんだけど、日がたって物資もある程度豊かになると『また来たの』みたいなリアクションに変わったりする。物資はたくさんあるわけで、実際、僕がいた南三陸では小学校の理科室の半分が天井まで毛布で埋まるくらい、毛布が余っていた」

物流がある程度復旧しても、支援物資のミスマッチはまだ続いています。送る側の気持ちが被災地にうまく届かないということを、薗田さんは自分の活動中にも経験しました。ブログで呼びかけ、物資を募ったときのことです。

薗田さん「車いすをちょっと集めてくれと。10台くらいでよかったので『10台でいいから』って話して店のブログ使って発信したら、最初に10台くらいボコンと来たんですが、そのあとにまたばらばらって来て、最終的には3~40台くらいになっちゃった。そこを何とかしたいなと思いまして。物資の無駄、義援金のむだっていうのをなくしたい、何かできないかなと思って。戻ってきてこの一週間くらい、いろいろ考えながら」

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物資のミスマッチ解消策として、スタッフと協力して立ち上げたのが、被災地の希望を詳細に把握することのできるシステムでした。

このサイトは端末や携帯でアクセスすることができ、被災した人々は各避難所ごとに何が幾つ必要かを書き込めます。書き込まれた情報は沖縄はじめ、全国で募集した会員が確認され物資の調達が可能な会員はクリックして物資を送るという意思表明をします。その後一定時間内に発送すれば完了。送られなければ数はまたもとに戻り、個数は管理されます。特定の物資が大量に届いたり、必要な物資が足りないという状況を解消しようというシステムです。

「フェイスブックいいかも。開設したら海外から送ってくれる人が同時並行で取れるわけですよね」「海外から物資…義援金、うん義援金だね。物資でというと時間がかかりすぎる」

システム立ち上げと同時に、ボランティアのNPO団体としての活動も開始しました。ブログを見て活動に賛同した人々も活動に加わり始めています。被災地のために自分にできることはなにか。インターネットが、若者の気持ちを繋ごうとしています。

坂尾さん「何をしたらいいかわからない状態なんだろうな。募金ももちろんしますし、一個一個できることはやるんでしょうけど、それでも何かあせる気持ち、まだ、まだ何かできることがあるんじゃないか、みたいなのはたぶん皆一緒かと思う」

神山さん「言葉に出来ないっていうのか、思いをどうしていいのかも…。でもその中でも、沖縄でも動く方たちが一杯いたので、ここだったら出来ることを出来る限りやってることを知って、自分もそうしようと」

薗田さんとともに団体の共同代表をつとめる松川幸司さん。薗田さんからの連絡を受けて物資を調達したり、今回のシステム作りに奔走しています。

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松川さん「被災者の方々は少しはましになっていくでしょうけど、決して元通りの生活に戻れたわけではない、ということを忘れないようにしていきたいと。常にそれを頭に置いて、アースワンとして永続的に活動に取り組んでいこうと思っています。本当に困っている人たちに必要なものを供給する。たくさんの会員さんにご参加いただいて、よりスムーズに必要とされる物資が避難所に届くようにしたいと思っています」

薗田さんは報告会の翌日、また南三陸に向かいました。身一つで出発した最初のボランティアから3週間目のことです。被災地の人たちのためになにかできること。今回、彼が避難所で紹介する新たなシステムが、若者たちの思いを繋ごうとしています。

薗田さん「何か被災地に直接することだけがボランティアというわけではないと思う。一人ひとりが皆さん出来ることをすることが、大きなボランティアに最終的には繋がるんじゃないかと思います」

現在、薗田さんは南三陸町の避難所でボランティア活動をしながら、携帯を使ってこのシステムの運用を始めていて、サイトには必要な物資のリクエストが寄せられ始めているということです。

何かしなければ、と思っている人の気持ちを繋ぎ、さらに被災地での支援物資のミスマッチ解消を目指す新たな取り組み、沖縄から広がることを期待したいです。


NPO団体 アースワン www.earth-1.org