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27日に首里を撤退した32軍司令部は、南風原の津嘉山を経て、5月30日に糸満市摩文仁にある新しい司令部壕に到着します。

アメリカ軍のバックナー中将は、沖縄守備軍が首里を放棄することはなく、必ず抵抗してくると考えていました。しかし、アメリカ軍が首里を占領した時に司令部壕はもぬけの殻。

梅雨の雨に助けられ、司令部の移動を成し遂げた沖縄守備軍ですが、この時すでに戦力は壊滅状態。それでも、司令部はアメリカ軍を沖縄に引きつけておくため戦闘を続けることを選択します。

多くの住民が避難している南部に新たな司令部を置いた守備軍。しかし、住民の安全の確保は二の次になり、この後、南部では日本兵による壕からの住民の追い出し、食料の強奪などが激しくなり、住民の犠牲者の数は飛躍的に増えていきます。