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1945年、県食糧配給課では米や芋、野菜など従来の作物に頼っては自給体制は追いつかないとして、1月から2月にかけ代用食の研究を専門家に委嘱します。

当時の県立図書館長・城間朝教をはじめ、県農業試験場や農事試験場の技術者など多くの研究者らの努力の結果、シークヮーサーと植物の果実で作る代用梅干しや空襲で焦げた黒糖を焼酎に精製、芋からはコーヒーができました。

しかし食糧増産を目指そうにもアメリカ軍による空襲は連日のように繰り広げられ、当時は畑に出るのもままならない状態だったのです。

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