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そしてきょうは、戦況が厳しくなる中、戦場に駆り出された少年たち、「鉄血勤皇隊」です。

首里の丘に静かにたたずむ、一中健児の塔。その敷地内にある一中学徒資料展示室には、15歳から17歳という若さで「鉄血勤皇隊」として動員された県立第一中学校の生徒に関する資料が集められています。

証言集には、1945年2月上旬、県下全ての中等学校の生徒代表者会議で、本土から赴任してきたばかりの県知事・島田叡がこう訓示したと記録されています。「鉄血勤皇隊は戦闘部隊ではない」「空襲の際、学校職員とともに消火にあたったり、食料増産に励んだりすることが主な任務である」「学生は学生の本分を尽くすのが第一である」

しかし知事の言葉も空しく、少年たちはアメリカ軍の上陸と同時に戦場に駆り出されました。戦地に赴くのを前にある生徒が戦国武将の和歌を引用して家族に宛てた遺書。「君がため何か惜しまん若桜散って甲斐ある命なりせば」鉄血勤皇隊として動員された400人余りのうち、およそ270人が戦場で若い命を散らしたのです。