※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
10-01-11-1945.jpg

沖縄守備軍・第32軍のナンバー2だった長勇参謀長。牛島司令官とともに摩文仁で自決を遂げた長勇は福岡出身。喧嘩っ早い豪傑で知られる軍人でした。

その長参謀長は1月11日、首里で民間人を相手に直々に講演をし、「敵が上陸したら一人十人殺せ」、「食糧は自分たちで何とかしろ。軍隊は住民が飢え死にするからと言ってもそれにかまって負けるわけにはいかない」などと発言しました。

「ただ軍の指導を理屈無しに受け入れ、全県民が兵隊になることだ」、「県民の仕事も種々あろう。弾丸運び、糧まつの確保、連絡、そのどれも大切であるが、直接、戦闘の任務に就き敵兵を殺すことが最も大事である」

長参謀長は、「なたでも鍬でも竹やりでも、手じかなもので遊撃戦をやれ」、「県民は地形に詳しいので、夜の切り込みやゲリラ戦を戦え」と指示。

当時の新聞も、「軍民一体で必ず勝とう」と、長参謀長の発言を当然のことのように伝えています。