※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
News Photo

中華航空機炎上事故の検証シリーズ。2回目のきょうは、事故機に乗っていた沖縄と台湾の乗客に話を聞きました。九死に一生を得た乗客は何を見て何を感じたのでしょうか。

2007年8月、乗客157人、乗員8人を乗せた中華航空機が那覇空港に到着後、炎上した。着陸から炎上まで7分。このわずかな時間に乗客乗員は脱出し、九死に一生を得た。あれから1年。

当時、事故機に乗り合わせたのが那覇市の金城力人さんです。

金城力人さん「もう1年たったのかとうことね。それから嫌な事故だったなというのが正直な気持ちです。ただ自分としては、なにしろ嫌な気持ちだったということです。早く忘れたいわけです」

金城さんはインドネシアの交流窓口、北スラウエシ日本人会沖縄連絡事務所の所長を務めています。当時、インドネシアから香港、台湾経由で事故に遭遇しました。座席は後ろから2番目の右側3列席の真ん中でした。

金城力人さん「隣の方は沖縄の女性ですけれども、慶良間の上空を通りながら、その島がどんな島だ、こんな島だというふうに話をしながら楽しくきたわけです。だから特別に何も、気象条件も機内の様子もまったく変わったことはありませんでした」

飛行機が駐機場に着いたその時、金城さんは右の翼から黒い煙が上がっているのを目撃しました。

金城力人さん「エンジンカバーが翼に下がっていますよね。エンジンが内側から見えるわけです。このカバーから炎の影らしきものが感じた。あ、この飛行機は火がついた、爆発するから逃げようと」

事故から1年。金城さんは当時を振り返ります。

金城力人さん「あの花のマーク(垂直翼のマーク)が私は好きなんですよ。事故がある前までは中華航空のファンでしたから」

しかし、今年もインドネシアに行く予定でしたが、家族から反対されてインドネシア行きをあきらめたといいます。

金城力人さん「公共交通機関を担う会社、企業は儲け本位ではだめです。ありきたりの言葉ですけど、命を運ぶわけですから、そして幸せを運ぶわけだから。幸せや命を奪うような事故につながりかねないような金儲けを念頭に置いて、そういうことが余りにも前面に出すぎる感じがする」

一方、台湾から沖縄旅行に来て事故に遭遇した人がいます。台湾のリンさんです。

リンさん「真ん中の通路が狭くて、確かにみんな早く降りたいが、前の人を押しのけても出たいという人はいなかった。確かに火が燃えているよという声が聞こえた」

リンさんは航空会社に安全運行を求めます。

リンさん「やっぱり飛行機の中に乗っているのは人ですから、飛行機に頼るしかできない。飛行機のメンテナンス点検が一番大事だと思う」

また那覇空港の地上係員たちの対応にも疑問を投げかけます。

リンさん「男の人が飛行機から出たとき、飛行機は燃えている。男の人は足にギプスをやっているのに助けてもらえない。エスコートしてくれる人がいなかった。男の人はジャンプのようにして逃げた。私の目から見ればすごく考えられない」

事故機に乗り合わせた金城さんとリンさんは、事故から1年たってショックは和らいだといいます。しかし、2人が事故の体験を通して感じたことは、航空会社の安全態勢、乗客を助けようとする意識、情報の提供などのあり方であり、去年の事故を各航空会社は教訓に生かすべきでしょう。