2012年7月31日 17時29分

Qリポート おぼえていますか「730(ナナサンマル)」

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昭和53年7月30日から左側通行になることを知らせる道路標識です。

沖縄はアメリカ統治下のもとで交通方法は右側通行でした。しかし日本に復帰、一国一交通方法という国際ルールから、この日を境に今の交通方法に変更した訳です。

復帰事業のなかでも非常に大きなものだった交通方法の変更「730」。皆さんはどのような思い出があるでしょうか。当時この一大イベントに関わった人々にお話を聞きました。

宜野湾市立博物館で開かれている企画展の一角にある展示物。これらは交通方法が右側から左側に切り替わった、いわゆる「730」について伝える貴重な資料の一部です。

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戦後沖縄はアメリカの統治下で、車の交通方法は右側でした。1972年に本土復帰したのち、国は1975年に沖縄の交通方法を左側に変更することを決め、その日を1978年7月30日にしたのです。このことが後に「なな・さん・まる」と呼ばれることになります。

沖縄県警が制作したVTRには交通方法が右側から左側に変わることをPRし、県警の取り組みなどが紹介されています。

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県警で作業に携わっていた久高弘さんは、交通方法変更について当時の県民には抵抗があったと話します。

久高弘さん「慣れてきているのに、また本土と同じように切り替えるというのはまた最初からスタートということになるわけ」

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糸満市の自動車学校で教官をつとめていた、上原正五郎さんも、この変更に戸惑った1人です。

上原正五郎さん「確かに大変だと思いました。体がある程度、覚えてしまっています。頭は切り替えることが出来ても、体はそう簡単には切り替わらない」

しかし上原さんは、早く左側通行にするべきだと思っていたといいます。それは免許を取りに来ている生徒に対してある想いがあったからだといいます。

上原さん「沖縄のほうがまだ交通量が少ないから、できたら沖縄で(左側通行を)体験して鍛えとけば、(本土でも)安心して運転できるんじゃないか」

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1978年7月29日午後10時、いよいよその日が訪れました。県内の道路は交通変更のため、許可された車両以外は全面通行止めとなりました。変更ための作業時間は、わずか8時間。久高さんはこの短時間で、作業を効率よく進めるためにある秘策を考え出していたのです。

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久高さん「雨の日でもできるような方法を考えようということで、カバーアンドテープ方式」

そして、道路標示にも工夫をしたといいます。

久高さん「左側通行用のものは、支障のあるものは黒のテープカバーでかぶせておいたわけ。右側通行用のテープと左側通行用の正式な標示の上にかぶしているカバーを、バーナーの火をあぶって剥ぎ取る。そうすると一挙、8時間以内に左側通行へのマーキングがそのまま生きてくるわけ」

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関係者の多くの努力ですべての準備が整い迎えた7月30日午前6時。全県にサイレンが鳴り響き、いよいよ左側通行が始まります。

久高さん「車が交通整理警察官の整理で動きだしていったでしょ。感無量でした」

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しかし多くのドライバーは慣れない右折に、不安な表情を浮かべる人やジッと車の流れを見つめる人の姿も…。心配されていた混乱・事故も起こりました。本島南部では、客を乗せた路線バスが県道脇の崖に転落し、横転。那覇市内でも接触事故などが多数発生しました。

そして上原さんにもヒヤッとする出来事が起こりました。

上原さん「自練をでたら、バスが来て『あれ?あのバスおかしいよ。反対側とおっている』と思って、ライトで切り替えで教えたら、向こうも切り替えで教えてくれた。よく考えたら、私が悪い、逆走していた」

上原さんはこの出来事は実際の教習のなかで、生徒たちに教えたということです。

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交通方法が変更されてから34年、人々の暮らしを大きく変えた730も今は昔。右側通行だったときの面影も消え、当時の街並みも大きく変わったいまその歴史を伝える「730の碑」が今でも県庁の敷地内にひっそりと残っています。

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