65年前のきょうは1945年9月16日(日)

戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。 戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。 そんな状況…

65年前のきょうは1945年9月2日(日)

65年前のきょう、日本は連合国との「降伏文書」に署名し、正式に連合国に降伏しました。一方沖縄では、沖縄諮詢会を中心に独自の統治に動き出していました。 降伏文書への署名は、東京湾の海上、アメリカ軍の戦艦…

65年前のきょうは1945年8月3日(金)

沖縄戦が始まってすぐにアメリカ軍の収容所が置かれた石川市。8月には今の県立博物館の前身「沖縄陳列館」が開館しました。 うるま市石川にあるこの古い建物は、戦後アメリカ軍によって作られた東恩名博物館の跡で…

65年前のきょうは1945年8月2日(木)

アメリカ軍は日本の軍国主義などの思想を排除するため、子どもたち向けの沖縄独自の教科書を作る編集所を軍政本部内に設置します。 沖縄戦のさなか、すでに中北部にはアメリカ軍が収容所内に学校を開設。学校には子…

65年前のきょうは1945年7月30日(月)

65年前のきょう、収容所のあった石川に初めて高校が誕生しました。 うるま市の城前小学校に建つ教育発祥の地の碑。この場所で65年前のきょう、石川高校の開校式が行われました。 伊波秀雄さん「終戦直後ですか…

65年前のきょうは1945年7月27日(金)

65年前、日本への無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」を拒否したこの日、沖縄では沖縄守備隊の作戦参謀・八原高級参謀の尋問が始まりました。 知念村屋比久の収容所で7月15日、身分がばれ、逮捕された「八原高…

65年前のきょうは1945年7月26日(木)

65年前のきょう、戦後初の新聞が復活。収容所で新聞を待ちわびる人々に新しい新聞は何を伝えたのでしょうか。 岡田輝夫さん「米軍のほうからの要請があって収容所内での新聞が作られると」 琉球新報社にある「新…

65年前のきょうは1945年7月20日(金)

65年前の今日、宜野座村に初等学校が誕生。しかし多くの人々が集まっていた村内では、子どもたち全員が通えたわけではありませんでした。 県から南部地域住民の疎開地に指定されていた宜野座村。4月以降は捕虜に…