65年前のきょう、牛島司令官は全ての軍に最後の命令を出しました。しかし、それは戦いの終わりを伝えるものではありませんでした。 鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の少年たち。毎年6月になると、後輩…
アメリカ軍は既に摩文仁岳にあった日本軍司令部壕まで前進していました。 アメリカ陸軍総司令官のサイモン・バックナー中将はこの時、日本軍の終わりを見ていました。 この日、降伏勧告状がやっと牛島中将のもとに…
6月中旬、糸満の壕にいた少女を爆撃が襲います。那覇市の翁長安子さんは、看護要員として首里の住職が隊長の永岡隊と行動をともにしていました。 糸満の糸洲の壕では戦車砲や火炎放射に襲われ、命からがら逃れます…
現在の豊見城市にある旧海軍司令部壕。アメリカ軍に包囲され、すでに孤立していた司令部の大田實司令官は1945年6月13日午前1時頃、この司令官室でけん銃自決を遂げました。 13日、40回目を迎えた慰霊祭…
日本軍の後を追い、わずか1週間ほどの間に南風原、大里、豊見城、東風平、玉城を次々と突破し、南下を続けるアメリカ軍は、糸満から八重瀬岳を経て、具志頭へと至る線上まで迫り、包囲網を狭めます。 一方、アメリ…
65年の前のきょう第32軍牛島満司令官のもとにある書簡が届きました。それは、アメリカ軍沖縄占領軍部の総司令官バックナー中将からでした。 『閣下の率いる軍隊は、勇敢に戦い善戦しました—。従いまして本官が…
65年前のきょう、首里の住職が率いる永岡隊は、糸満で再び合流し、生きていることを喜び合いますがそれもつかの間でした。 首里の安国寺の住職・永岡敬淳が率いる「永岡隊」。沖縄県人で編成された永岡隊は、第3…
南への進撃を続けるアメリカ軍はこの日、ついに糸満の照屋付近まで到達します。 65年前のきょう撮影された写真。現在の那覇空港の場所にあった小禄飛行場を制圧したアメリカ軍は、南部への進撃を確実に強化してい…
本島を南北に分断して侵攻を続けるアメリカ軍は金武町を完全に制圧。海軍を率いる当時の大田実少将は一週間後の自決を前に、訣別の電報を打ちます。 金武掃討作戦と呼ばれた戦闘に参加するアメリカ兵達。連日、たく…
高額なお金を支払って買った壕の中で最愛の親族を失った住民がいました。 与座岳のふもとにある第二与座壕。250円を支払ってこの壕に入った松茂良美智子さん一家にも、日々、悪化していく戦況が手に取るようにわ…