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先月、番組内でもお伝えしましたが、ことし2月、沖縄戦の激戦地、糸満市のガマの中から「明治大学」と書かれたボタンが見つかりました。

手がかりを探し続ける遺骨収集ボランティアを取材しました。

糸満市福地にあるガマ。沖縄戦当時、多くの住民や日本兵が身を隠していた場所です。ことし2月、このガマの中からある遺留品が見つかりました「明治大学」と書かれたボタンです。

遺骨収集ボランティア・明大ボタン手がかり探す

浜田哲二さん「この岩陰に隠れていたんじゃないかと、隠れてね、入口から侵入してくるアメリカ兵を見ていたんじゃないかと、だけど、爆雷投げられたらこの距離ですからひとたまりもないですよね、もうその最初の一撃で(持ち主は)なくなったんじゃないかと思います」

今回、明治大学のボタンを発見したのは、遺骨収集ボランティアの浜田哲二さん、律子さん夫妻、そして共に活動する地元の高校生です。

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浜田律子さん「遺族の方なんかが呼びかけに応じて出てきてくださって、いろいろお話を聞かせていただいたら、解明できるんじゃないかなというふうには思っています」

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ボタンの発見からおよそ1か月半、持ち主や遺族につながる手がかりを探そうと、明治大学の卒業生を訪ねました。

明治大学校友会 沖縄県支部長 與那覇博明さん「その時の学生服、だからこれが前ボタンね、これが袖のボタン」「ちょっと小さめかな、ほぼ一緒だね」

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與那覇博明さんは1977年明治大学へ入学、現在は明治大学校友会の沖縄県支部長を務めています。

浜田律子さん「これはやっぱり與那覇さんとしては(見つかったのは)袖のボタンじゃないかなと」

與那覇博明さん「そうですね、で、お守りだろうなと」「思いもがけず戦場に駆り出されると思ったら、やっぱり学生時代の思い出としてボタンを記念にという感じで取ったんじゃ(持ち出した)ないですかね、気持ちはよくわかりますよ」

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今回、與那覇さんの話などから、見つかったボタンは学生服の袖ボタンと類似していることが分かりました。しかし、持ち主が学生なのか大学の卒業生だったのかは分かっていません。手がかりを探すため、浜田さんたちは東京へ。

浜田哲二さん「どういう方が持ち主であったか、どういう遺族が亡くなった方をまっていたのか、その遺族の人生も知りたい、伝えていきたい」

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この日訪れたのは東京都千代田区の明治大学。1881年の創立で、これまで多くの卒業生を送り出してきました。

浜田さんたちは、ボタンに関する情報を探ろうと、大学内の展示室を訪れました。

浜田律子さん「あった!これをみたら実感するよね」展示されていたのは、1915年の明治大学の校旗。

発見されたボタンと見比べると、文字の細かな違いはあるものの、大正時代から同じ校章が使われていたことが分かります。

浜田律子さん「絶対、学生か卒業生がいたんだろうな、そうとしか考えられないもんね」「本当に明治の人がいたんだね」

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今回、浜田さんたちが明治大学を訪ねた理由、それは大学関係者にボタンを見てもらうためでした。

浜田哲二さん「浜田と申します」「よろしくお願いします」

明治大学文学部の山田朗教授。軍事史などを研究テーマにしています。ガマで起きた出来事や、発見時の状況などを細かく伝えながら、浜田さんたちは山田教授に意見を求めました。

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浜田律子さん「これ、どういうことが想定されると思いますか」

山田朗教授「普通考えると、袖のボタンだけもってるとめずらしいというか、あんまり考えられないですよね」「もっているとするなら帽章とか、襟章とか、普通のボタンということになるので」「可能性としては服がそこにあったという可能性と、その人が何かの証として自分がもっていたもの、どちらも考えられるということですよね」

また、浜田さんたちは過去に兵士に行った聞き取りから、ボタンがお守り袋に入れられ、戦地へ持ち込まれた可能性もあると考えています。

浜田哲二さん「お守り袋の中に様々なものをしのばせていたというようなことを聞いたことがあってですね」

山田朗教授「これだけが出てきたことからすると、その可能性は捨てがたいものですよね」

戦後81年が経ち、当時を知る人が少なくなる中、遺留品は戦争を伝える存在だと話します。

山田朗教授「これは(遺留品は)もう戦争の証言者そのものですからね、かつてこれを身に着けていた人がいた、その人たちがいなければこれはないわけですからね」「まさに戦争を語っている」

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ボタンの持ち主が明治大学の関係者だった可能性が高まった一方、持ち主の特定には至っていません。

浜田律子さん「物は語らないかもしれないけど」「戦争ってどんなものだったのかというのを想像して、そして資料を集めて検証していく、そういうことがこれからは大事になってくると思います」

浜田哲二さん「まだまだぜんぜん第一歩ですよ、ようやくボタンがね、明大のものだとわかっただけで、これからですよ、本格的に探すのはですね」「このボタンをだれが持っていた、そのボタンが見つかった場所で何があったのか、ひも解くことであの81年前の戦争が、また少し見えてくるんじゃないかと」

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ボタンが発見されたガマにはどの部隊がいたのか、だれが亡くなったのか、まだ明らかになっていません。

浜田さんらは、遺留品を遺族のもとへ届けたいとボタンに関する情報収集を続けています。少しでも情報をお持ちの方が居れば番組まで情報をお寄せください。

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