沖縄が本土に復帰する前、復帰運動に奔走した青年たちがいました。当時は何を願い、そして本土復帰をどう見つめているのか?取材しました。
沖縄本島最北端、辺戸岬。サンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄が日本から切り離されたこの日。毎年、基地の撤廃や復帰を問い直す集いが開かれています。
この集会に特別な思いで参加している人がいます、田場盛順(たば・せいじゅん)さんです。
1942年旧具志川村で育った田場さん。高校卒業後は、各市町村に発足した青年会に所属し、地域文化の継承や復帰運動に取り組んでいきます。
田場盛順さん「あの当時の青年会で思い出すのは、何をやるにも青年たちが中心なんですよ」「小学校の運動会にも地域の青年たちの競技種目が組まれて」
アメリカ統治下に置かれていた沖縄では軍による事件、事故が相次いでいました。
田場盛順さん「高校1年の時だったかな、宮森小学校へのジェット機墜落事故」「川崎の民家にまたジェット機が墜落して」「青年会だとか、あちこちで『あんしぇーならんやー』要するにそうであったらいかんな、というような形で」
その後、島内の青年会を束ねる「沖縄県青年団協議会」の会長に就任した田場さん。島の青年会の結束と、県外の青年団との交流を図る中で沖縄の不条理を全国に訴えていました。
田場盛順さん「どんどん基地が拡張されていくというな、そういうことを全国の青年たちに訴えるというな」「その中で、復帰運動が徐々に盛り上げていく、その盛り上げの一端をになったのが青年会」
田場さんと同じく復帰運動に奔走した人がいます。東武(あずま・たけし)さんです。
1947年、旧勝連村平敷屋で生まれた東さん。村にはアメリカ軍の「ホワイトビーチ」がありました。
中頭青年団OB会 東武さん「だから、兵隊さん大好きなんですよ、アメリカの」「(米兵から)プレゼントをもらったり、お菓子をもらったり」
その後、高校に入学した東さん。学校の友人らと話すうちに他の地域では米兵による事件、事故が多発してることを知ります。
中頭青年団OB会 東武さん「平敷屋では大きい事故というのはあまり経験がないわけだから、ある意味、カルチャーショックというのかね」
高校生活を送る中で沖縄が置かれた状況を知る東さん。卒業後は就職し、地域の青年会や職場の労働組合に加入。基地の即時撤廃を求める「復帰行進」などに参加しました。
そんなある日、歩いて職場に向かっていると、アメリカ軍のトラックが東さんに突っ込んできました。
中頭青年団OB会 東武さん「僕は20歳の誕生日を前にしてね、交通事故に遭っているのよ。米兵に跳ねられてね」
中頭青年団OB会 東武さん「事件事故にならない、その時は。だって加害者は米兵でしょ」「理不尽だなあというのを最初に体験した、感じた、事件だったのかな。事故と言われるんだけど、僕は事故じゃなくて事件だと」
復帰前の沖縄には軍関係者に対する裁判権がなく、事件が発生しても泣き寝入りする住民が後を絶ちませんでした。
そんな中、復帰を前にある出来事がおきます、コザ騒動です。兵士が運転する車に住民をはねる事故が発生、怒りを爆発させた人たちは軍関係者の車に火を放ちました。
当日、コザの街を訪れていた東さん、騒然とする街をの光景を目にし、これまでの怒りがこみ上げてきたといいます。
中頭青年団OB会 東武さん「僕もその時にやっぱり自分は事故にあってるわけだから、それを思い出すわけ」「理不尽だと。何の悪いこともやってないわけです。おまけに跳ねたやつは無罪放免」「わったーぬーやが」
本土と同じ基地のない生活を求めて、訴え続けてきた青年たち。1972年5月15日、沖縄は本土復帰を果たしますが基地負担はこれまでと何も変わりませんでした。
復帰当日、フェンス越しに嘉手納基地を見ていた田場さん。
持っていた手帳には訴えてきた願いとは裏腹に、再び厳しい現実を突きつけられた思いがつづられていました。
田場盛順さん「第二、第三の沖縄処分っていうんですかね」「沖縄を切り離して日本が独立して、その沖縄側からして屈辱だっていうのは、で、それと重ね合わせたような形で」「屈辱の日、午前0時って書いたんですけれどもね」
「本当に平和で豊かな沖縄っていうのは、それを求めて運動しても、結果としては変わらない。怒りっていうのか、失望っていうのか、そんな感じを受けたんですよ」
本土復帰からきょうで54年。現在も国土面積わずか0.6%の沖縄に、全国のアメリカ軍専用施設面積の7割が占めるだけでなく、南西諸島への自衛隊配備も強化されています。
中頭青年団OB会 東武さん「軍事基地というのは、ますます強化拡大されていると、自衛隊の基地が増えているし」「日本政府はこのうちなんちゅというのをどう見ているんだろう、本当に日本国民として見ているのかなと思いたくなる」
Q田場さんと東さんにとって5・15とは?
田場盛順さん「何だろうと問われたら、なんと答えればいいんだろうね」
中頭青年団OB会 東武さん「やっぱり一言でいえばガッティンナラン(許せない)」
田場盛順さん「私もガッティンナラン(許せない)というのは全く同じです」「将来に対する危機感というのかな、それが強いんですよ。だからそういう状況はやっぱり改めていかないといけないというふうには思います」
過重な基地負担に加え、南西諸島で進む自衛隊の配備。沖縄にとって「復帰」とは何だったのか?改めて見つめ直す必要がありそうです。
