沖縄が本土に復帰してあすで54年です。当時本土復帰を願う沖縄の人々を支えた大きな柱の一つが日本国憲法第9条の存在でした。多くの犠牲と大きな苦しみを残した「沖縄戦」の経験は「二度と沖縄を戦場にしてはいけない」という願いにつながっています。
「憲法9条」にかけるある男性の100年の思いを見つめます。
先月29日、憲法記念日を前に憲法9条が刻まれた「恒久平和の碑」の清掃が行われていました。1985年、平和都市なはの象徴として建立されたこの石碑は自治体が関わった全国初の「憲法9条の碑」です。
清掃は、憲法9条の理念をつないでいきたいという市民が6年前から行っています。
真栄里泰山さん「親泊康晴さんがこの憲法9条の碑を刻んで残してくれたことをやっぱり大事にして、恒久平和を目指さないといけないと考えたからです」
参加女性「憲法が大事なのにだんだんおろそかになって大変だって」
戦争で焦土と化し、戦後はアメリカの統治を経験した沖縄。ふるさとは基地に占領され人権が脅かされる。そんな沖縄が本土復帰を願った背景には戦争のない平和な暮らしを守る「平和憲法」への強い思いです。
学生たちに伝える平和学習 稲福英男さん「僕がいろいろ準備してあそこに建てた、まだありますよ」「あれを作ったときには涙を流しながら建てましたよ」「憲法9条の碑ですよ、これですよ、戦争反対二度と戦争はしてはいかないということですね」
当時「恒久平和の碑」の建立に奔走した親泊市長時代の助役、稲福英男さんです。稲福さんは、現在100歳。平和を求める強い思いには沖縄戦の体験がありました。
「なんでたくさんの人が死んでいったのに私はこうして生きているのだろうか」
那覇市にある介護施設「百穂苑」そこで暮らしている稲福英男さんは、4月1日、100歳を迎えました。
介護士と稲福さんとのやりとり「どこまで直す?」「直すよどこまで直す?」「書き直しします?」「うん書き直すよ」
新聞を毎日読み、気になる記事は切り抜いています。これまでに綴ってきたエッセイは4冊。戦争体験や失われた故郷への思いとともに「憲法9条」の言葉が何度も記されていました。
「アメリカと一緒になったら戦争するから、それよりは日本に帰るんだと施政権を日本に返せと」
稲福さんが本土復帰に願ったのは、平和憲法のある日本でした。
ふるさとを歌う稲福さん「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川、夢は今もめぐりて忘れがたき ふるさと」
1926年沖縄市で誕生1942年旧制県立農学校に入学し、1945年1月19歳のとき徴兵制で陸軍に入隊、沖縄戦では爆雷を背負い中南部の戦闘に参加、名城海岸で目の前で仲間が射殺された
稲福さんの故郷は沖縄本島中部にあった呉富士と呼ばれる集落。戦後、嘉手納基地として接収されました。
稲福さん「平和な農村地域だったんですよ、今は基地に消えなくなった。懐かしい。」「僕は、19歳までふるさとで育ったけれども、19歳で兵隊で沖縄戦で戦闘して、そのままハワイに連れて行かれて帰ってきたときは、もうふるさとなかったわけ」
Qこの歌を聞くとその時のことを思い出すんですか? 稲福さん「そうです、昔を思い出すんですね。 懐かしいですよ」
沖縄戦を生き延びてもふるさとへ帰ることはできませんでした。
稲福さん「もう100歳になるからね 101歳を歩み始めて ふるさとはしかし忘れられない」
「親泊那覇市長から助役の辞令交付式の写真」1985年2月13日「憲法9条の碑、除幕式の写真」1985年5月3日
1985年、当時親泊那覇市長の助役だった稲福さんは「恒久平和の碑」の建立に奔走しました。戦争の記憶を二度と風化させないために。その思いが碑には込められています。
「あれを作った時には 涙を流しながら建てましたよ」
稲福さんは憲法9条への思いを周りの人たちにも伝え続けてきました。
介護施設の職員末吉さん「思い出に残っているのはやっぱりウクライナの紛争があったときに、君に教えたいことがあるといわれて平和憲法9条、与儀公園で知ったのはそれがきっかけでした」
介護施設の職員末吉さん「戦争をしちゃいけないから君を連れてきたということと、一緒に伝えていこうねって。やっぱり生きる教科書みたいなもので毎日怒られてるんですけど、自分たちが伝えていけるようにしたいな」
稲福さんは連日、100年を振り返る作業を続けています。
自分が書いた文章を読む稲福さん「私が今一番幸せだと思っている人にやさしくする、そして優しくしてもらったら忘れない。これが100年の人生で学んだことである」「人に優しくしたら戦争など起こらない。世界に類のない平和憲法の国に生まれてよかったと思うようになった」
戦争を生き延び、生まれ育ったふるさとを失った100歳の稲福さん、その思いは『平和が恒久に続くこと』を願うものです。
稲福さん「私みたいに戦争を体験した人はダメだとはっきり言いたいですね」
取材した比嘉記者です。
比嘉記者「今回、100歳の稲福さんを取材して印象的だったのが『沖縄戦』と『日本復帰』そして『憲法9条』を一連の平和を願う思いとして語っていたことです」「単に『日本に返る』のでなく『戦争をしない国に戻りたい』という願いが復帰運動には強くあったそうです」
「そして100歳になった今も若い世代に対して『戦争をしないという憲法はどこにもない』『日本の誇り』です!若い世代には憲法9条について考えてほしいと語り続けていました」
「また、取材の最後に稲福さんは今、憲法を改正しようという動きについては『難しい世の中になりましたね~』と危機感を募らせ『人が人でなくなる戦争だよ 二度と戦場にはしたくない』」とふり絞るように訴えていました」
「『優しい心を持って相手に話す、話したら優しい心が返ってくる。これを交互にすること』とてもシンプルだけれども深い言葉だなと感じました」
