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太平洋戦争時、アメリカ軍の潜水艦に撃沈された、疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼む慰霊祭が、奄美大島の宇検村で執り行われました。
1944年8月22日夜、沖縄から児童ら1788人を乗せて長崎に向かっていた疎開船「対馬丸」は、アメリカ軍の潜水艦による攻撃を受け沈没。
児童784人を含む1484人が死亡し、当時、宇検村の船越海岸などに生存者や遺体が流れ着きました。2025年11月8日、執り行われた慰霊祭には、遺族や地元・宇検村の関係者などおよそ100人が参列しました。
生存者の1人で対馬丸記念会の高良政勝代表理事は、関係者に「この地を訪れ、慰霊碑の前で手を合わせることができ、深く感謝している」と伝えた上で、犠牲者へ哀悼の言葉を贈りました。
対馬丸記念会・高良政勝代表理事は「この悲しみを二度と繰り返さないために、犠牲となられた方の御霊が安らかでありますように」と話しました。
宇検村の元山公知村長は、戦後80年の大きな節目を迎え、生存者や遺族が高齢化するなか、慰霊祭が執り行われたことについて、「対馬丸の悲劇を心に刻み、平和の尊さを次の世代につなげる機会となった」と述べました。
参列した女子生徒は「戦後から80年経っているから、当事者は少ないのはもちろんだし、当事者の遺族も少なくなってきているから。実際に体験した人だけが伝えるんじゃなくて、実際に体験した人から聞いた人、それから聞いた人と、どんどんつなげていったら、絶対に未来もにつなげていけるから」と話しました。
参列者は、慰霊碑の前に設けられた献花台に花を供え、平和の誓いを新たにしていました。
