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首里城の復興を追いかける復興のキセキです。

玉城アナ「平成と令和で正殿の塗装に使われる赤が変わることをご存じでしょうか。比べてみるとこんな感じ」

中村アナ「令和の方がよりシックな感じ?落ち着いた色味ですね」

玉城アナ「そうなんです。少し、印象変わりますよね!今回は、令和の正殿復元工事で最も注目されていると言っても過言ではない”正殿の赤”にフォーカスします」

玉城真由佳アナ「首里城正殿の再建工事が進む素屋根です。現在作業の中心となっているのが漆職人による塗装工事です。」

琉球の赤を取り戻せ!"久志間切弁柄"

建物全体が漆で塗られることから「巨大な琉球漆器」と呼ばれる正殿。現在は30人ほどの漆職人の手で作業が進んでいます。その柱や外装などの仕上げに使われる”赤い塗料”があります。”久志間切弁柄” 平成の復元では再現できなかった”琉球独自の色”です。復活の背景には、ある研究者の並々ならぬ熱意がありました。

那覇市歴史博物館に所蔵されている王国時代の首里城の修理の記録を記した一冊の古文書。そこに”久志間切弁柄”の記述があります。

尚家文書「(べんがらしゅ33きん みぎはらいねん ももうらそえごふしんにつき)弁柄朱三拾三斤 右者来年百浦添御普請ニ付、(せんれいのとおり とうざ いりよう ござそうろうあいだ、あるところ)先例之通当座入用御座候間、有所(くしまぎりへほんぎょうのいんずう かねて てあて)久志間切江本行之員数兼而手当(つかまつりおきらいねんのさんしがつごろ おてがたしだいみなおなじく)仕置、来年三・四月比御手形次第、皆同(あいおさめそうろうよう おおせつけおかれたく)相納候様被仰付置度…」

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「百浦添普請(改修)につき正殿の塗り直しのためにこれまで通り久志間切に注文しますと書かれている」

琉球の赤を取り戻せ!"久志間切弁柄"

幸喜淳さん。”久志間切弁柄”を長年追い求めてきた研究者です。記録によると弁柄は、現在の名護市久志周辺を指す”久志間切”の人たちが王府に納めていたとされていますが、1992年の平成の復元ではその幻の色を特定できず、一般に流通している市販の弁柄で対応しました。関係者の悲願ともいえる”県産の弁柄”を見つけるため、2007年、幸喜さんが調査を始めました。

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「(当時の)首里城の部材がどこかに残っていたら 本当の意味でちゃんとした調査研究の結果が出せるが今のところこれは首里城のものだと分かっている部材があるわけではないので」

明治政府による琉球処分後、王国時代の記録は県外に持ち出されましたが、関東大震災で多くが被災。また、県内に残された資料も沖縄戦の戦禍で失われました。手がかりのない中、幸喜さんは何度も久志地区へ足を運びましたが、なかなかヒントは得られなかったと言います。

しかし、研究開始から10年ほど過ぎた2018年ごろ、幸喜さんの知人に寄せられた地元の中学生の素朴な疑問が事態を一変させます。

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「(知り合いから)地元の中学生が”血の川”と呼んでいる川があると「この川はどうして赤いんですか」という質問が寄せられているがこれはどうしてなのかと聞かれた」

「川の水が赤いのは、鉄バクテリアと呼ばれる土壌中に広く生息する細菌が水中に含まれる成分と反応してサビ色のふわふわした沈殿物をつくるから」と回答した幸喜さん。その後、現地を訪れることにしました。

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「久志一体をずっと歩くと、もうあっちこっちに赤いものがいっぱいあると分かって。久志ではそれをカイミジと呼んでいると」

琉球の赤を取り戻せ!"久志間切弁柄"

実は、地元の人たちが”カイミジ”と呼ぶ赤い水。それこそ、長年幸喜さんが探し求めてきた弁柄の材料でした!その後、採取した鉄バクテリアをもとに 良質な顔料をつくることに成功。古文書が指す弁柄はこれで間違いないだろう、と結論付けられ令和の復元に採用されることになりました。

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「中学生の一言で、これは水かもしれない。これはバクテリアかもしれないっていうことを教えてもらって(ヒントをくれた)その中学生も多分今20歳ぐらいになってるかもしれない。実際に会ってはいないが感謝しないといけない」

幸喜さんは現在、弁柄の調達も担当しています。久志の山を伝い流れてきた雨水を溜めたこの池から、ポンプで水を組み上げ、タンクにうつし…鉄バクテリアのみを沈殿させて採取します。      しばらくの間、それを乾燥させ約900℃のガス窯で1時間程焼き上げると、粉末の弁柄が完成するのですが…

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「ほんのちょっとの量であれば そんなに難しくないが やはり正殿全部にそれを使う量を確保するっていうのはまたそこに大きな大変さがある」

令和の復元に必要な弁柄は、およそ45㎏。自然由来の顔料を安定して得ることは容易ではありませんが、その”困難”がやりがいにつながっていると話します。

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「(古文書には)200年ぐらい前の久志の人たちも結局集めきれなくて前回の塗り直しの時にはこの弁柄を調達できなかったので今回の修理のときには必ず用意しなさいよ書いてあるので昔の人もすごくこれを集めるのに苦労している結果的にではありますけど(当時の)地元の人たちと同じ苦労を今追体験しているという」

琉球の赤を取り戻せ!"久志間切弁柄"

この弁柄を実際に正殿に塗っても色味や耐久性に問題はないか。調合を担当する漆職人らととも検討を重ね、ことし1月、ようやく久志間切弁柄の塗装が始まりました。 

沖縄美ら島財団・幸喜淳さん「もちろん火災があったことはすごく残念なことではあるが、それを経ていろんな研究が進んでより往時の王国時代の首里城正殿の姿を取り戻すことができたことに、少し思いを馳せながら見学してもらえるとありがたいなと思う」

時を越えて現代に蘇った琉球の赤が令和の正殿を華やかに彩ります。天然由来の弁柄を建造物の塗装に使う例は全国的にもないことだそう。

工業用の弁柄と比べて耐久性等は劣るが、将来的な塗り直し等の機会を技術継承の場として活用することが検討されている。塗装工事は来月末まで行われる予定で、現場は連休明けの6日まで休みだが、連休明け、是非この機会に漆塗りをみに訪れてください。

令和の正殿には3種類の赤色が使われます。・正面の向拝柱には最も鮮やかな「唐朱(とうしゅ)」・2階の格子窓部分の「久米赤土(くめあかつち)」・そして、柱や内外壁など多くの部分に用いられる「弁柄」