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県庁や那覇市役所の周辺には戦前に「湧田村」という地域が存在しました。そこでは「焼きものづくり」が盛んで「湧田焼」と呼んで親しまれていました。

今の沖縄の焼き物「ヤチムン」の原点とされていて、長い歴史を持つヤチムンのルーツに迫る活動が地道に続けれていました。

湧田焼の原点へ挑む

陶藝玉城・玉城望さん「ここが入口になるのですけども、ここで薪を燃やすのです。品物はこの段の上にきます、向こうが炎の吹き出し口になるんですね」

玉城望さん「ここは段々煉瓦を積んでいってアーチドーム状になる予定です。グルーっと回っていきながら段々絞んでいきます」

沖縄の焼物「ヤチムン」の原点とも言われている湧田焼を生み出していた窯がどんなものだったのか、ルーツを探る活動が密かに続けられていました。

玉城望さん「沖縄の文化とか歴史とかそういうのが学びたいと思っている。そうするとなんとなく自分自身のルーツのようなものが探れると思う」

36年前の1986年に今の県庁行政棟がある場所の発掘調査で「湧田古窯跡」の遺構が見つかりました。その後の調査で大量の瓦が出てきたことや、7基の窯跡が確認されたことから、那覇の中心地にかってあった湧田村一帯で窯業が盛んに行われたことがうかがえます。

県立芸術大学・森達也教授「おそらく16世紀には湧田のあの地で瓦と瓦の技術を使った無釉陶器、植木鉢みたいなものですね、そういう物を作っていたと考えられています」

湧田焼の原点へ挑む

考古学者で陶器や陶磁の歴史に詳しい県立芸術大学の森達也教授は、中国と琉球王国の国どおしの交流から瓦の技術が伝わってのではないかと分析しています。

森達也教授「明の政府から明の国から瓦技術者が派遣されて来て、その技術が琉球に政府間の交流の中で伝えられたと考えることが出来るのではないかと私は考えています」

玉城望さん「これ菊揉みっていうんですけども、いま空気抜きしているんですね。この部分が菊の花びらみたいに似ているから『菊揉み』って」

壺屋焼の陶芸家、玉城望(たまきのぞみ)さん51歳。この道30年のベテラン職人です。

主に生活で使う陶器を作るなど、22年前から大宜味村の山間部に工房を構えて、妻の若子さんと2人で焼物制作に取り組んでいます。玉城さんは就職を考えた20歳の頃、技術で生きる沖縄に特化した職人になりたいと、伝統ある壺屋焼の世界に身を置くことを決めました。

玉城望さん「暮らしの器とか道具の中にも美しさというかカッコいいとかあると思っているので、そういう感じで(作陶)やりたいですね」

情熱はふくらみ続け、いつしか焼物の原点を見出していきたいと考えるようになったといいます。

湧田焼の原点へ挑む

玉城望さん「復元みたいなこともコピーのようなこともチャレンジするけども、そうすることによって自分たちのいまの物作りに跳ね返ってくるというか、何か影響があると思っていて」

ヤチムンのルーツを探すため、図書館や博物館を回るだけでなく、中国を訪れることまでやりました。

玉城望さん「ほとんどほぼ一緒なんですよ、湧田窯と形も煉瓦のサイズも。(南京の)窯自体は明時代の窯なので中国にあっちこっち点在していると思うんだけど、同じ流れのものが(中国全土)いっててちゃんと伝わったんだろうなって」

森達也教授「(中国の)明の時代の首都と副都みたいな所の建築の時に瓦を焼いた窯が見つかって、湧田の窯と言うのが構造的にほとんど同じそっくりだっていうことが近年分かってきています」

中国で得た情報を基に「湧田古窯跡」を再現うべく、玉城さんは3年前から試行錯誤を続けています。

玉城望さん「湧田窯の特徴はこの段と薪を燃やすところの段の立ち上がりがとても高いのです、これが特徴的です」

薪を燃やすスペースと製品を焼く場所が水平になっている平窯で瓦を焼くには、窯の中を1000℃まで上げる必要があります。湧田の古窯跡には肝心な屋根の部分が無かったため、どこまで煉瓦を積んでドーム状の形を作るべきか大きな難題でした。

玉城望さん「中国の窯とか見ると割りあい高かったので、もうちょっとこれぐらいの高さまで持って行ってもいいんじゃないかなと思っています。最初はこれぐらいのドームしようと思っていたのが、今はこれ位のドームにしたいなと思って、今直し始めている所ですね」

湧田焼の原点へ挑む

森達也教授「非常に期待しています、あの窯で実際に昔の技法で作った形で瓦を焼くそういう日が来るのを楽しみにしております。やはり瓦の技術復元、それから施釉陶器の、或いは磚という琉球王国16世紀17世紀の琉球王国の窯業が初めて再現できるという、とても素晴らしい機会だと思っています」

玉城望さん「文化の中にウチナーンチュのアイデンティティのようなものがあって、その中に自分のアイデンティティとか自分とは何かとかあるような気がしているのです。そこを知りたいし、見つけたいと思っているんですね」

煉瓦を積んで取り外してはまた積んで、暗中模索とも言える窯づくりは見分を広めるチャンスだと玉城さんは信じています。窯業が栄えたあの時代に出会うための道のりは、まだまだ始まったばかりです。